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「タナベ! よく投げてるね!」「(タバタですけど)頑張ります!」長嶋茂雄監督が“最後に獲得した男”田畑一也のトレード人生「長嶋さんは神様ですから」
posted2025/07/12 11:02

1996年、ヤクルトに移籍した田畑は憧れの長嶋監督とツーショット(本人提供)。後に長嶋巨人にトレードされることになろうとは
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Kazuya Tabata
恩師である野村監督がチームを去るとともに、少しずつ登板機会が減っていった田畑。1999年オフの契約更改交渉の席上では思わず起用法への不満が爆発し、球団幹部に「若手しか使わないなら、僕の働く場所はない。それならトレードに出してください」と訴え出た。
「こんないい仕事場ないよ」
「トレード志願、という記事が出た時はチームメートから心配されましたよ。(宮本)慎也さんからは、『本当にどっか行きたいの? こんないい仕事場は他にはないよ』と言われて、そうだよね、と自分でも思いましたよ(笑)。
若松(勉)監督を批判するような意図は全くなかったので、その後に監督やコーチともしっかり話し合いました。最後は納得した上で契約更改して『じゃあ来年も頑張ります』という感じになったんですけどね……」
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翌2000年3月27日、オープン戦の最中に田畑と大阪近鉄バファローズの代田建紀外野手、衣川幸夫捕手との1対2の交換トレードが決まった。その直前、田畑はトレードの気配を感じ取っていたという。
監督から握手を求められて…
「大阪ドームの近鉄とのオープン戦でリリーフして2イニングぐらい投げたんですよ。左バッターの川口憲史に2ランホームランを打たれたりして散々な出来だったんですが、ベンチに戻ったら若松さんが近寄ってきて、『ナイスピッチ』とやけにガッチリと握手をしてきた。
なんで握手? と思っていたら次の週にトレードが発表された。相手はその近鉄でしたし、あの時には多分、トレードがまとまっていたんでしょうね(笑)。ただ契約更改でのやり取りもあって、自分で蒔いた種のようなところもあったので逆によし! という気持ちにすぐ切り替えられました」