甲子園の風BACK NUMBER
「ライバルを蹴落とす競争はない」今ドキ高校野球は投手2枚看板どころか4人必要? 横浜152キロ2年生も健大高崎155キロ腕も“継投が日常”なワケ
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間淳Jun Aida
photograph byHideki Sugiyama/JIJI PRESS
posted2025/04/14 17:13

横浜の織田翔希と健大高崎の石垣元気。ともに150キロを超える剛腕だが、両校とも彼ら1人に頼る投手陣になっているわけではない
準決勝で横浜に敗れてセンバツ連覇は逃したものの、投手層の厚さを見せた。右のエース石垣元気投手は大会前に左脇腹を痛め、左のエース佐藤龍月投手はトミー・ジョン手術を受けて外野手登録と苦しい中、ベスト4に入った。
その立役者は、背番号10の下重賢慎投手と背番号11の山田遼太投手の2人だ。
下重は1回戦の明徳義塾戦に10回1失点で完投し、2回戦の敦賀気比戦は8回2/3を3失点と好投した。山田は準々決勝の花巻東戦で先発を任され、5回1失点と期待に応えた。山田は試合後、こう振り返っている。
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「元気、龍月、下重の3人だけではない、自分もいると存在感を示したい思いがありました。花巻東は下位打線もフルスイングしてくる強打のチームなので、ストレートで押しても難しいと考え、変化球中心で投球を組み立てました。イニングを重ねるごとに自分らしいテンポの良さを出せたと思います」
なぜ“投手王国”になれたのか
山田の速球は最速134キロと決して速くない。球速では石垣をはじめ、佐藤や下重らチームメートに及ばない。それでも、スライダー、カーブ、カットボール、チェンジアップ、スクリューと多彩な変化球を操って凡打の山を築いた。中でも、打者のタイミングを外すチェンジアップは効果的だった。
北海道出身の山田は中学時代、持ち球が速球とカーブだけだった。しかし、健大高崎に入学後、ハイレベルな投手陣を目の当たりにして「自分が生き残る道を探さないといけない」と変化球に活路を見出した。
この変化球習得に健大高崎が“投手王国”に成長している要素が隠れている。山田が教材としているのは、ライバルとなるはずのチームメートなのだ。変化球を武器にできた理由を明かす。
「スライダーは龍月、カットボールは元気、チェンジアップは下重に教わりました。ブルペンで握り方や投げ方を聞いたり、キャッチボールをしながら質問したりしています。元気にはストレートの強さを出すポイントも聞きました。みんなには感謝しています」
甲子園で1、2回勝つだけなら1~2人でいいですが
健大高崎にはライバルを蹴落とすチーム内競争はない。全国制覇するために個々がレベルアップし、その上で正々堂々とポジションを争う。下重も仲間からヒントをもらいながら成長を遂げてきたという。