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「時が来ればスッと現れるよ」桑田真澄が運命に導かれ背負った“18番”へのプライドと、後継者への想い
text by

石田雄太Yuta Ishida
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/07 10:00

2006年9月24日、巨人では最後となるファームの試合に先発した桑田。在籍20年で173勝を挙げた
「そんなの、僕は野球だとは思ってないですよ。よく、ストレートが140キロ出なくなったのなら綺麗なピッチングじゃダメだって言われますが、でも江川さんの晩年だってそんなことをしなくても130キロ台の前半で抑えていたじゃないですか。堀内さんにもそんなイメージはないし、藤田さんの晩年はわかりませんが、僕はそれがジャイアンツのエースのよき伝統だと思ってるんです。アウトコースをいい当たりされても、ピッチャーライナーだったらそれを捕ってアウトにすればいいんです。僕らは何ミリの世界で戦っていますから、同じアウトコースでも、気持ちが入った球がピュッと1センチでも伸びたらフライになるんです。気持ちが入っていつもより5ミリ余計に曲がってくれたら、右バッターならバットの先っぽになるし、左バッターだったら詰まるでしょ。アウトを取る方法はいくらでもあるんですよ。それでいいじゃないですか。僕は僕らしく、最後まで野球をやりたい。自分らしく……それが一番の望みなんです」
桑田をそこまで導いたのが理想のイメージを追い求める力だとしたら、それがまた彼をどこまでも彷徨わせてしまった。良くも悪くも職人……いや、芸術家と言ってもいい。そんな美意識が桑田を苦しめていたことも否めない。それを殻を破れずにいると取るか、こだわりを貫くと取るか、紙一重だろう。それでも桑田の軸がブレることはなかった。そして、その価値観は背番号18からもたらされていたはずだ。ジャイアンツの18番を背負ってきたからこそ、桑田はどこまでも“桑田真澄”でいなければならないと思っていたのである。彼がさらにこんな話を続けた。
「若い頃は、絶頂のときに辞めるのが美学だって思っていましたけど、ある日、藤田(元司)さんに、『桑田、野球っていうのは、もういいやって辞めてしまうようではダメだよ、これでもか、これでもかって喰らいついていけよ、それが本当に野球を愛してる男のやることじゃないか』って言われたんです。もう、ゾクゾクっとしましたよ」
待たれる後継者の出現
57歳になった今の桑田は、ジャイアンツの二軍監督として次代を担う若い選手たちを導いている。「まだ見当たらない」という18番の後継者は、「時が来ればスッと現れるよ」と、桑田はそう話していた。
「自分を励ましてくれる背番号なんて、そんなにないと思うんです。ジャイアンツの18番はそういう力を持っています。今は僕らの頃とは時代が違いますから、容易くそこへ辿り着いて、簡単に欲しいものを手に入れたいと考えがちなのかもしれません。でも僕はそれじゃ、つまらないと思うんです。苦労して辛抱して、やっと手に入れたものにこそ本当の価値がある。18番のプライドを持ち続けた人がエースに君臨して、そういうエースに倣う若い人が出てきて、やがては18番を手に入れて……そんなふうにしてエースナンバーが受け継がれていってくれたらいいと思っています。とくにジャイアンツの18番は、そういう背番号であって欲しいですね──」


