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名人・藤井聡太が解説で「佐藤九段が軽快に攻めましたが」挑戦権は佐藤天彦vs永瀬拓矢のプレーオフ…「将棋界の一番長い日」A級順位戦はどうなった? 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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posted2025/03/02 06:00

名人・藤井聡太が解説で「佐藤九段が軽快に攻めましたが」挑戦権は佐藤天彦vs永瀬拓矢のプレーオフ…「将棋界の一番長い日」A級順位戦はどうなった?<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

今期も熱戦となったA級順位戦。名人・藤井聡太への挑戦権は佐藤天彦と永瀬拓矢のプレーオフによって決まる

 渡辺九段が第6戦の千田八段、8回戦の佐藤九段との対局で、いずれも足の負傷による痛みから続行できず、中盤の局面で投了したのだ。日本将棋連盟に事前に申請して椅子対局となったが、強い痛みが生じて困難だったという。その後、渡辺は足の手術によって延期された第8戦の永瀬九段との対局で、15時間に及ぶ激闘を制して勝ってA級残留を決めた。

 A級順位戦の最終戦の対局は、「浮月楼」の1、2階の5室に振り分けられた。対局者がほかの部屋に行って戦況を見ることをしないのは不文律となっている。終局後にほかの対局の勝敗を聞くことも憚られるが、良い結果(挑戦や残留決定)だと関係者が教えてくれる。悪い結果(降級決定)だと、当事者はその場の空気で分かるという。

 最終戦の対局は、現地の静岡市のホールでの大盤解説会、将棋連盟や主催紙のYouTubeチャンネル、ABEMAやライブ中継アプリのネット中継で、熱い戦いが全国の将棋ファンに伝えられた。

旧将棋会館での最終戦は深夜1時頃までファンが…

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 1980年頃に始まった千駄ヶ谷の旧将棋会館でのA級順位戦最終戦の大盤解説会は、なかなか熱気があった。以前のエピソードを紹介しよう。

 当初は2階の道場で開かれたが、人数が増えてくると隣の研修室も使った。ネット中継がなかった頃は、将棋ファンは会館に行かないと棋譜や結果が分からなかった。ある時期には約500人も入場し、立錐の余地もなかった。解説の途中で時の名人が登場すると、入場者から「どの棋士に挑戦してほしいですか」などの質問が出て、名人が苦笑する場面もあった。

 大盤解説会は全局が終了するまで行われた。大半の人は電車があるうちに帰ったが、深夜1時頃まで残って結果を見届ける人が毎年10人はいたという。まさに「将棋界の一番長い日」だった。

 1998年からはNHK衛星放送が最終戦を、午前・午後・夜の部に分けて生中継した。対局室に無人カメラを設置し、会館の特設スタジオから対局光景と棋譜解説を伝えた。勝負が大詰めを迎える夜には、20時から24時まで通しで放送。その影響や指定席を設けたことで、会館での解説会の様子は落ち着いた。

 大山康晴十五世名人はA級から降級したら引退すると、かねてから公言していた。1990年の最終戦では敗れると降級が濃厚になった。当日の大盤解説会は、巨星の最後の対局になりかねないので異様な空気が充満していた。やがて大山の勝ちが知らされると、大きな拍手が巻き起こり、涙を流す中年の方もいた。対局室と解説会がまさに一体となっていた。

名人・藤井も大盤解説会に登場した

 今期A級順位戦の最終戦の対局は9時に始まった。渡辺-菅井戦は前述の事由で椅子対局となった。各局の戦型は次の通り。

【次ページ】 今期が最終決着したのは23時49分のことだった

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