熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「借金は嫌だから自己資金。100軒売ったよ」不動産業で大成功…J通算99発ブラジル人FWの“意外な引退後”「33億円移籍で挫折」の真相も語る
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2024/12/21 17:01
Jリーグで大活躍したルーカス。現在は地元の不動産業で生計を立てているそうだ
「ああ。インテル移籍が決まりかけて、ワクワクしていた。しかし、レンヌのオーナーがインテルの2倍の移籍金を提示したんだ。代理人から『このクラブは大型補強をしており、近い将来、ビッグクラブの仲間入りをするはず』と説得されて行くことになった」
――そしてU-23代表に選ばれ、2000年7月、シドニー五輪に出場します。このときのメンバーに、ロナウジーニョ(当時グレミオ)がいました。
「宇宙人だね。信じられないほどのテクニックの持ち主で、ドリブルでもパスでもシュートでも完璧にやってのける。敵も味方も唖然としていた」
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――五輪ではグループステージ突破を懸けて日本とも対戦しました。このときの日本は宮本恒靖 、松田直樹、中澤佑二、中田英寿、中村俊輔、稲本潤一、高原直泰、柳沢敦らを揃え、監督はA代表と兼務するフィリップ・トルシエ。2年後の自国開催のW杯を見据えたチームでした。対戦した印象は?
「じつはそれまで僕は日本のフットボールについて何も知らなかったんだけど、個々の選手の技術レベルが高く、戦術的にもよく訓練されていることに驚いた。立ち上がりの得点を守り切って勝ったんだけど、この国は必ず強くなる、と思った」
ハリルに戦力外通告されたんだ
――しかし、ブラジルは準々決勝でカメルーンの前に敗退し、その後レンヌへと合流します。
「五輪は延長の末、ゴールデンゴールで負けて本当に悔しかった。そしてフランスでは『ロナウド2世』という表現が独り歩きしており、過大な期待をかけられていたんだ。当時、僕は21歳。異なる言語、習慣、メンタリティーなどに適応するのが困難だった。また、当時のフランスリーグはフィジカルを前面に押し出すスタイルで、ブラジルとは全く違っていた」
――かなり戸惑ったわけですね。
「開けっぴろげなブラジル人と比べて、フランス人はよそよそしく感じた。僕を含めて4人のブラジル人選手だけで固まっていた。フランス語を覚えようとせず、他のチームメイトとはあまり交わらず……これが間違いだった。また、監督が毎年交代し、その度に戦術が変わるから、混乱したんだ」
――2000-01シーズンは、リーグで28試合4得点。2001-02年は33試合2得点でした。
「じつはこの時、ヴァイッド・ハリルホジッチ(後の日本代表監督)から事実上の戦力外通告を受けたんだ」
――えっ、そうなんですか?〈つづく〉