NumberPREMIER ExBACK NUMBER
「もし一緒に引退していたら」長与千種&ライオネス飛鳥が語るクラッシュ・ギャルズ解散秘話「全女ってブラックで…これ初めて言うことだけど」
posted2024/11/28 17:00
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Takuya Sugiyama
発売中のNumber1109号に掲載の[スペシャル対談]長与千種×ライオネス飛鳥「クラッシュは命がけ」より内容を一部抜粋してお届けします。
全日本女子プロレス興業(以下、全女)で1983年に長与千種(以下、長与)とライオネス飛鳥(以下、飛鳥)によって結成された「クラッシュ・ギャルズ」。'89年の1度目の解散、両者の引退のあと長与は自身の団体GAEA JAPANを設立、飛鳥はフリーのプロレスラーとして各団体のマットに立ち、ヒール転向後に2度の女子プロレス大賞(東京スポーツが制定)に輝いた。結成40年を超えたいま、2人が運命の交差について語り尽くす──。
もしあのとき一緒に引退していたら…
飛鳥 全女のとき、一緒に中国にロケに行ったの、覚えてる?('89年春)
長与 行ったね。南京でしょ。
飛鳥 (中国残留孤児2世レスラーの)天田麗文の実家にカレーを届けにいくっていう企画で(笑)。あのときに、「引退しようと思ってる」って打ち明けてくれたんだよね。うちらはビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)が引退をかけた直接対決で解散('79年2月27日、日本武道館)したのを知ってるから、「そういうことだけは絶対にやめようね」って約束してて、全女とフジテレビにかけ合って、「一緒に引退させてほしい」って頼んだ。最初は難色を示されたけど、最終的にはOKをもらえたのに、「東京スポーツ」に千種の引退をスッパ抜かれてしまった。
長与 そうだったね。
飛鳥 結局、千種は横浜アリーナで('89年5月6日)、私は3カ月後に後楽園ホールで辞めたんだけど(8月24日)。もしあのとき一緒に引退してたら、いまはないんだろうなって思う。千種が復帰した翌年に自分が復帰して('94年)、ヒールターンすることもなかったんだろうなって思うと、物事にはすべて意味があるんだなって。
飛鳥「後楽園の外まで追いかけられた(笑)」
長与 自分が先に辞めさせてもらったあとも、相方のことはずっと見てたよ。全女ってブラックで、それまでテッペンで扱っていた選手を平気で底辺まで落とす会社だから、1人になってすごく嫌な思いをしたんだろうなって、言葉にできないぐらいの落とされ方をしたんだろうなって思ってた。これ、初めて言うことだけどね。
飛鳥 うん。初めて聞いた。