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工藤公康がいま明かす“ソフトバンク最強時代”のウラ側「一瞬、選手に嫌われても構わない」「部屋にモニター6台」千賀滉大も耐えた“猛練習”の意図 

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byYuki Suenaga

posted2024/06/01 11:04

工藤公康がいま明かす“ソフトバンク最強時代”のウラ側「一瞬、選手に嫌われても構わない」「部屋にモニター6台」千賀滉大も耐えた“猛練習”の意図<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

ソフトバンク元監督・工藤公康がNumberWebのロングインタビューに応じた

1年目で日本一も「勝つと隙が生まれる」

「就任1年目でリーグ優勝、日本一になれました。もちろん最高の結果です。だけど、人間は勝つと心のどこかに隙が生まれる。こうすれば勝てるだろうというイメージが生まれると、現状以上のことを考えなくなるものです。その点、10連覇という未来を見据えるならば、留まってはいられない。勝ち続けるために、となると、世代交代も考えながらチームを作る必要があります。そこで、一軍、二軍を行ったり来たりしていた若い選手を“次の世代”と考える。彼らの台頭が一軍の主力に刺激を与え、競争が生まれるというイメージでやっていました」

 チームの底上げへ工藤自らがトレーニングメニューを考案。率先して指導にもあたった。そのような背景から“工藤塾”という言葉が生まれた。

 たとえば、心拍数を管理しながらインターバル走をするなど、ランニングメニューも目的別に分けて取り組んだ。加えて、体幹や股関節周りの下半身トレーニングを毎日3、4時間、というメニューも組み込まれた。自身が現役時代にスポーツ医学や運動生理学などを勉強し、科学に基づいて取り組んでいたトレーニングをベースに行っていたというが、それでも相当過酷なのは容易に想像できる。ただ工藤は「プロ野球選手として生きていくうえで、最低限出来なければならないことだから」と選手たちに説明をした。

過酷な“工藤塾”…なぜ始めた?

 練習内容を聞いて敬遠した選手もいた。「やる気がないのにやっても意味はない」。だから強制はせず、あくまで希望者のみを募った。事実、「僕はいいです」と参加しなかった選手もいた。

「くすぶる状態というのは、どこかで上手くいっていないから生まれるんです。キツイかもしれないし、『こんなことまでやらなきゃいけないの?』と思うような練習かもしれないけど、それを乗り越えた時に、自分の知らない自分に出会える。選手たちには私の正直な気持ちを直接話しました。私から見ても能力があるし、このチームの中でやってもらわなきゃいけない。ただ、そのためには体を強くしなきゃいけない、鍛えなきゃいけない、力を上げていかなきゃいけない。さもなければ、一軍の主力に対してチャレンジできないよ、と。そうしたうえで『やるか?』と聞きました」

千賀「全身筋肉痛で起き上がれない」

 手を挙げた選手の中に、現メジャーリーガーの千賀滉大(ニューヨーク・メッツ)がいた。当時、あの千賀が「毎朝、全身筋肉痛で起き上がれないから、ベッドから転げ落ちて這いつくばるようにしてどうにか立ち上がるんです」と話していたのを筆者もよく覚えている。

【次ページ】 「福岡の仕事部屋にモニター6台」

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