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「阿修羅・原を解雇しました」天龍源一郎と最強タッグ出場、川田利明“大抜擢”のナゼ?「デビュー205連敗」の男が全日本の救世主になるまで
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2023/12/08 11:00
1986年の川田利明。全日本では「デビュー205連敗」の記録が残っている
「『最強タッグ』の最終戦で武道館の花道を出ていったとき、『あっ、これが本当のメインイベントなんだ』って感じたんですよ。同じ武道館でも、2~3試合目に出ていくのとメインイベントとではここまで違うのかって。武道館という器に超満員のお客さんがいて、あの大歓声の中で花道を歩いてリングに向かっていく時の高まる気持ちっていうのは、本当に自分がそれまで7年くらいやってきたプロレスのどんな試合とも全然違った。それは入場から試合中、そして退場するときまで含めてすべて。あの試合から、自分のプロレスに対する価値観や意識が変わりましたね。それぐらい大きな経験でした」
この「’88最強タッグ」の約1年半後、1990年4月7日に天龍同盟は解散し、シリーズ終了後に天龍は全日本を退団。メガネスーパーが設立した新団体SWSへ移籍すると、多くのレスラーが追随した。
「俺は天龍さんと組んで…」
そして’90年代の全日本は、三沢光晴、川田利明を中心とした超世代軍が主役となり、それが四天王プロレスに発展し黄金時代を迎える。日本武道館大会は毎回チケットの争奪戦となるほどの超満員が続き、そのメインイベントには、黒いロングタイツに黄色いレガース姿となった川田利明が何度も立った。
「日本武道館っていうのは本当に特別な会場で、あそこのメインでは自分の力以上のものが引き出される。俺はそれを天龍さんと組んでハンセン&ゴディと対戦した『最強タッグ』で初めて経験して、それがその後に活きてるんですよ」(川田)
昭和最後の「最強タッグ」である「’88世界最強タッグ決定リーグ戦」での川田利明の奮闘は、来るべき全日本プロレスの新時代、四天王プロレスの予告編でもあったのだ。