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「阿修羅・原を解雇しました」天龍源一郎と最強タッグ出場、川田利明“大抜擢”のナゼ?「デビュー205連敗」の男が全日本の救世主になるまで
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2023/12/08 11:00
1986年の川田利明。全日本では「デビュー205連敗」の記録が残っている
ゼブラ模様のロングタイツ、頭にバンダナを巻いて…
この仙台大会以降、川田は天龍&原と行動をともにするようになり、全日本正規軍に残った冬木とは一時期敵対関係となるが、一騎打ちを経て冬木もあらためて天龍同盟入り。その後、天龍の付き人だった小川良成も加わり、天龍と原がたった2人で始めたレボリューションは5人のチームとなった。
仙台での川田と冬木のような若手が自ら行動を起こすことは、それまでの全日本では見られなかったこと。もちろん馬場の容認あってこそだが、若手や中堅が自己主張を始めたのも天龍革命の成果と言っていいだろう。
天龍同盟加入後、川田は冬木とのコンビ「フットルース」を結成。ド派手な色のゼブラ模様のロングタイツを穿き、頭にバンダナを巻いて、80年代半ばにアメリカで人気のあったロックンロール・エクスプレス(リック・モートン&ロバート・ギブソン)の日本版としてアイドルコンビ的に売り出されたが、これは川田の本意ではなかった。また地方では天龍&原&川田と鶴田組の6人タッグマッチが毎日のように組まれ、いちばん経験が浅く小兵の川田は常に標的にされた。
そんな苦闘続きの日々の中で鬱積した思いを爆発させる機会が突然訪れる。それが阿修羅・原解雇による天龍のパートナーとして抜擢されての「’88世界最強タッグ決定リーグ戦」出場だった。
台風の目となった“天龍&川田”
この時の川田の体ごとぶつかっていくガムシャラの闘いぶりは「最強タッグ」に新風を送り込み、天龍&川田はリーグ戦の台風の目となった。そして迎えたシリーズ最終戦、12.16日本武道館。リーグ公式戦最後の試合は、天龍&川田vsスタン・ハンセン&テリー・ゴディの一戦。川田はこの時、初めて“武道館のメイン”を経験し、のちにこう振り返っている。