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「仕事は?家はどうするの?」原晋の監督就任に妻は猛反対した…広島有名企業のサラリーマンを青学大の指導者に変えた“一本の電話”
text by
原美穂Hara Miho
photograph byAFLO
posted2024/01/03 06:00
2012年箱根予選会での原晋監督。3年後の2015年大会で大学初の箱根駅伝総合優勝を成し遂げる
夫は電話を切ってからも、興奮状態でした
しかし、瀬戸さんは中国放送での仕事が気に入っていて、それを辞めてまで母校の監督になる気はないようです。だからきっと、この手の話に飛びついてくれる、代わりの人を探そうとしたのでしょう。夫に電話をしてきたのは、さすが瀬戸さん、見る目があると言わざるをえません。しかし、わたしとしては、そんなノンキなことを言っている場合ではありません。
夫は電話を切ってからも、興奮状態でした。どんな話だったのかをわたしに一とおり説明したあと、「ふつう、引き受けるでしょう」などと言います。でも、ふつうは引き受けないと思います。まず、その2003年当時、青山学院大学は1976年以降、27年も箱根駅伝から遠ざかっていたからです。監督就任の要請は、陸上競技部再生の要請でもあったのです。
夫は瀬戸さんの代わりに、自分がその役目を引き受けるつもり満々です。
そのころのわたしは、夫が中国電力には陸上競技部の長距離ランナーとして入社していたこと、大学や高校時代も陸上競技部に所属していたことなどはかろうじて知っていましたが、それも結婚直前になって、そんなこともあったと過去形で聞かされていただけです。家でも、夫が駅伝をテレビで見ているところなど一度も見たことがありません。テレビで見るスポーツといえば、プロ野球の広島東洋カープの試合ぐらいです。ですから、駅伝やマラソンにはもう興味がないのだと思っていました。
なのになぜ、たった一本の電話で、自分の母校でもない大学の監督になろうとしているのか、その陸上に対する情熱は今までいったいどこに潜んでいたのか、ぜんぜん理解できません。
「仕事は?」「家はどうするの?」妻の猛反対も…
夫はわたしとの話は上の空で済ませ、瀬戸さんと会うために、いそいそと出かけていきました。帰ってきたら案の定、青山学院大学陸上競技部の監督になりたいと言います。
そのためには東京へ行って、寮に住むのが条件だとも言います。青天の霹靂。考えられない! ありえない! でも、どうしてもそうしたいと言うのです。
今の仕事はどうするの? 転勤暮らしが落ち着いて買ったばかりの家はどうなるの? そもそも、わたしの両親が結婚を許してくれた理由のひとつは、あなたが中国電力の社員で、中国地方から外への転勤がないからだったでしょう?
突っ込みどころ満載の夫の話に一つひとつ突っ込みながら、わたしは猛反対しました。3年契約、その後は成果次第という話を聞けば、なおさらです。ただ猛反対しながらも、このわがままな夫が折れるはずがなく、絶対に監督になるつもりなのだなとわかっていました。
わたしが反対すればするほど、夫は意地になります。いや、絶対に監督になる、陸上競技部を立て直す、学生に箱根路を走らせる、絶対にできる! 俺はやる! と、わたしにも、そして自分自身にも約束するのです。