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「理想はノーサイン」慶応・森林貴彦監督が目指すのは“大人のチーム”「『サイン通りやればいい』では“指示待ち族”を大量生産するだけ」
text by
森林貴彦Takahiko Moribayashi
photograph bySankei Shimbun
posted2023/08/18 17:03
3回戦では広陵を延長戦の末に破り、19日準々決勝で沖縄尚学と対戦予定の慶応。優勝候補に挙げられる同チームの森林貴彦監督には理想のチーム像があるという
そして、その代の最後の公式戦となる夏の大会では、まったくのノーサインでゲームを進められるのが一番の理想です。こうした理想、目標のもとに、最初はサインを出し、それに解説や意見交換をしながら、徐々にサインなしでもゲームを進められるという方向性のチーム作りを行っています。
「そう来ると思っていました」
その究極的な着地点が、“ベンチの意図と選手の意図の一致”です。
ノーサインで試合を進めていた場合、私が「ここで盗塁すればいいのに」と考えていた場面で、実際に選手がスチールを試みる。あるいは、仮に私が盗塁のサインを出したとしても、それを受け取った選手が「そう来ると思っていました」と思えば、これもベンチと選手の意図が一致したことになります。ベンチ、走者、打者で意図の一致が起きれば、成功率も間違いなく上昇します。
しかし選手が何も考えていなければ、仮にサイン通りに盗塁が成功したとしても、なぜ、いまのカウントで盗塁するべきだったのかという“意図”に気付かないまま、一つのプレーが終わるだけです。だから選手には、ワンプレーごとに自分が監督になったつもりでプレーしてほしい。こうした思考の集合がチームのランク、レベルを間違いなく引き上げます。さらに、考えながら取り組むほうが、ただ指示を守るだけよりも、圧倒的に野球が面白くなることは言うまでもありません。
目の前で管理したほうが楽ではあるが…
選手は野球を通じてそうならなければならないし、指導者もその方向に育てなければなりません。そのために必要なことは、たとえ指導者の意図通りに選手がプレーしなかったとしても「ダメだ」と言わないことです。「自分で考えなさい」と任せておいて、いざ自分の意思で動いたときに「なぜ、そんなことをするんだ!」と叱責されたら、選手は当然やる気を失います。そこは、指導者がしっかり担保してあげなければいけない部分です。もちろん、まだまだ経験の浅い高校生ですから「それはないだろう」というプレーを選択するケースもあります。それでも指導者はグッとこらえて我慢する。こちらが指示することだけをやらせて、目の前で管理したほうが楽ではありますが、それでは選手は大きく成長していきません。
冬場に2万本の素振り、毎日100本ダッシュなど、練習の“量”をよりどころにするチームは少なくありません。もちろん、それは「俺たちはこれだけやってきたのだから」という一定の自信にはなりますが、練習はそれ以上に“質”が重要であると私は考えています。