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“天才・宇佐美貴史”に小、中学校で気遅れした男が“スペイン語のプロ”として同僚に…「選ばれた者しか入れない」Jリーグで通訳になるまで
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph byMasaki Shimozono
posted2023/08/11 11:00
かつてJリーガーを目指し、現在ではガンバ大阪のスペイン語通訳として奮闘する岡井孝憲さん
「ナショトレでは最後の日に関西の一員としての他の地域と対戦したんですけど、その時の1学年上は特にどこの地域を見ても名前がすごかったです。それこそヴェルディ(当時)の高木善朗くんとかがいて、どの地区を見ても凄かった。関西も僕が憧れている選手が目の前でプレーしていて、一選手として参加していましたけど、夢のような凄いところに来てしまったなって思っていました」
もちろん、京都サンガのU-15でプロを目指していた岡井さん。自身の学年ではCB、1学年上に招集されていた際には右SBでプレーしていたこともあって、ガンバ大阪ジュニアユースの「天才」ともマッチアップした経験を持つ。
「13歳か14歳の時に対戦しましたけど、宇佐美くんの存在はずっと嫌でしたね。当然上手いし、今でもそうですけど、独特なシュートのリズムを持っていました。ただ、僕もサンガでは1学年上の宮吉くんとか駒井(善成)くんと対人をしていたので、全く遜色なく対応できたとは言いませんけど、ある程度、宇佐美くんに対して怖さはなくマッチアップしましたよ。ただ、名前で負けていましたね。『宇佐美』という存在には(笑)。今も練習中は監督と同じ『タカシ』って呼びますけど、ピッチを離れたら『宇佐美くん』ですね」
大学で出場機会を得られず、選んだのはスペインだった
育成年代でエリートコースを歩んでいても、順当にプロ選手になれるのはごく一部。順当に京都サンガのU-18に昇格しながらも、同期だった久保裕也や原川力、高橋祐治がトップ昇格を果たした一方、岡井さんはU-18に卒業時には夢を果たせず、スカラーアスリートプロジェクトとして提携する立命館大学に進学。大学サッカーを経て、プロの世界を目指した。
しかし、立命館大学で思うように出場機会を得られず、岡井さんは新たな人生を模索する。行き先はスペインだった。
「プロになるのは厳しいと思ったのは2年生か3年生ぐらいの時でした。Jリーグの色々な知り合いに話を聞いたんですけど、僕の状況が悪すぎて。試合にも出てなかったですから。アジアか、欧州に行くならスペインかなと。このままなら自分の夢も消えていくという感覚があって、刺激が欲しかった。それでお世話になってる方に、『スペインに行く道はありますか』と聞いたら、1カ月ぐらいならすぐ留学できるということでお願いしました。3年の夏に1カ月だけ個人留学をして、スペインで当時4部のチームに練習参加の形で行ってきました」