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17歳ダルビッシュを完全に攻略…なぜ木内幸男は“試合前のダルビッシュ発言”で有利を確信したのか? 常総学院が制した“20年前の甲子園決勝”
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/09 11:02
2003年夏の甲子園、決勝で常総学院に敗れ、涙を流すダルビッシュ有
ダルビッシュ有は、2年生ながら3回戦の平安戦で15奪三振をマークするなど「大会屈指の右腕」と注目を浴びていた。当時の新聞記事を読み返すと、この大会は膝から足首にかけ疲労による骨膜炎に加え、腰痛も発症する満身創痍の状態。それが準決勝で登板しなかったことで気概に満ちていたのだろう。報道陣に対し「明日のことはまだ監督と話をしてないので分からないけど、先発したなら完投したいです」とコメントしていたそうなのだ。
木内はそこを見逃さなかった。
「そういうことは監督が決めるこったから、選手は言っちゃいけねぇんですよ、本当は。だから、非常にやりやすかった。ダルビッシュが何も言わなかったら、決勝では左バッターを少しベンチに下げといたかもしれません」
「3点取られたら負け」の読み
決勝戦を前に木内は情報戦を支配していた。スタメンには先発ピッチャーの磯部洋輝を含め左バッターを5人も並べる大胆さが、その一端を打ち出しているようだった。
試合が始まるや、木内がベンチでどっしりと構える。予め「3点取られたら負け」と戦局を捉えていたことで、先発の磯部が2回に失点し、3回も先頭バッターにツーベースを許したところで、迷いなくピッチャーをこの大会で好調の飯島秀明に代えることができた。
木内の試合運びは、まるで相撲で言う後の先のような立ち合いだった。相手の出方を見て自分たちにとって優位な立ち位置を得る戦い。この3回のピンチでもそうだった。相手バッターがバントを試みるもファウルし、直後に牽制球で揺さぶりをかける。すると東北ベンチは強攻策に打って出たが不発となり、常総学院は二塁ランナーを釘付けにしたまま無失点で切り抜けたのである。
試合は木内の手中に収まろうとしていた。
「私はバントやられたほうが嫌だったの。三塁までランナーが来られたら、ボテボテのゴロだってポテンヒットだって点が入っちゃう。だから、守ってるほうからすっと序盤だし1点は覚悟するわけです。こっちは3点取られたら負けだと思ってますから、あれで流れがこっちに来ちゃった。みんな、のびのび野球やれるようになっちゃったんですよ」
常総学院がダルビッシュを捉えたのは、その直後の4回表だった。