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「最初の対戦相手は小学生の女の子でした」ブレイキン世界女王・福島あゆみ39歳が明かす“21歳からの競技人生”「文句を言われて練習ができない日も」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2023/05/13 11:01

「最初の対戦相手は小学生の女の子でした」ブレイキン世界女王・福島あゆみ39歳が明かす“21歳からの競技人生”「文句を言われて練習ができない日も」<Number Web> photograph by AFLO

2021年世界選手権で優勝し、日本代表の強化指定選手にも選ばれた福島あゆみ。本人に競技人生について話を聞くと…

「全然充実していない」留学生活

「めちゃめちゃ壁にあたりましたね。全然充実していないというか」

 最大の要因は「英語」にあった。いや、英語力ではなかったかもしれない。

「自分の間違った英語を出すことに、すごい勇気がなくて。現地の人となかなか、かかわることができなかったです」

 自信を持ってコミュニケーションが取れず、思い描いていた日々とは違う時間が過ぎていった。

 苦戦しながら1年が過ぎ、夏休みを迎えて一時帰国する。福島は21歳になっていた。

 京都に戻ってきたある日、姉に誘われてブレイキンの大会を見に出かけた。

できないからこそ、できるようになりたい

「大会を見て、特に強いインパクトがあったわけではなかったです。姉がやっていたこともあってブレイキン自体は知っていましたから。ただそのとき行ってみて『楽しかったな』と思いましたし、なんか体を動かしたいなという気持ちもあったので」

 その翌日から練習を始めた。

 始めたばかりの頃は当然ながら、思うようにできなかった。でもそれが続けようという力になったと言う。

「例えば、体を地面で支えるという行為は、生きていく上でやったこともなかったし、力が全然なくて、みんなができていることも全然できなくて。でも、できないのが楽しくて『次の日もやってみたい』と思いました」

 できないからこそ、できるようになりたいという思いがブレイキンへと気持ちを駆り立てた。

1~2年で感じた心持ちの変化

 初めて大会に出たのは1カ月ぐらい経った頃だった。

「対戦相手は小学生の女の子でした。私が負けたんですけど、悔しいとかそういうレベルではなかったですね」

 やがて心持ちが変化していった。

【次ページ】 根底は京都で教えてもらった

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