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[語り継がれる涙の正体]ますだおかだ 増田英彦「退路を断っての隠密作戦」
posted2022/12/01 07:04
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Nanae Suzuki
'01年、数々の賞を総なめにしてきた松竹芸人が苦い敗戦を喫した。どうすれば勝てるのか。ホテルの一室で考え込んだ深夜2時。覚悟と秘策を持って再挑戦した翌年、男は紙吹雪の中で吠えた――。
それだけで十分、伝わった。
「知らんぞ」
コンビを牽引する増田英彦のごく短い言葉を、岡田圭右は一瞬で理解した。そして相方である増田の肩を二度、叩いた。
2002年12月29日夜。パナソニックセンター有明スタジオでは、第2回M-1グランプリの決勝が開催されていた。
結成10年目、西を代表する中堅どころの漫才コンビ、ますだおかだの出番は2番目。舞台袖で待機していたときのことを増田はこう思い出す。
「僕、岡田には何回か言ってたんです。『獲れへんかったらどうなっても知らんぞ』って。負けたら漫才辞めるからな、という意味やったんですけど。本番前、もう一度、伝えとかなあかんと思ったんです。最後の漫才やと思ってやらなきゃ優勝できんやろうと思ってたんで」
大阪で生まれ育った増田は物心ついた頃から漫才が大好きだった。中学2年生の時、『ABC漫才・落語新人コンクール』(現・ABCお笑い新人グランプリ)で優勝したダウンタウンを見て、こう心に誓った。
「あの頃、漫才はもう古臭いみたいな空気があった。でも、ダウンタウンさんを観て、漫才って、やっぱりカッコいいやん、って。そのとき、この賞、いつか絶対獲ったるって思ったんですよ」
それから、ちょうど10年あと。1994年に、ますだおかだは、デビューからわずか1年でダウンタウンの後を追いかけるように同コンクールを制する。