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新チーム発表翌週に骨盤骨折も…「不死鳥」39歳や元F1レーサー片山右京らが本気で「日本初のツール・ド・フランス」を狙うワケ 

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赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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photograph byJAPAN CUP CYCLE ROAD RACE 2022

posted2022/10/26 17:01

新チーム発表翌週に骨盤骨折も…「不死鳥」39歳や元F1レーサー片山右京らが本気で「日本初のツール・ド・フランス」を狙うワケ<Number Web> photograph by JAPAN CUP CYCLE ROAD RACE 2022

JCLで片山右京らが創設した新チームは本気でツール・ド・フランス出場を狙っている

「この話を頂いた時に、本当に悩みました。自分が残りの選手人生で何をやりたいのか、本当に限られた競技人生をどこで使いたいのか。そう考えた時、このチームは日本の自転車界、ロードレース界を変えていけるチームだと感じて、立ち上げに参加することを決断しました。今後の自転車界をよりよい方向に導ければいいな、と思っています」

 また、EFエデュケーション・NIPPOディベロップメントチーム(アメリカ)から移籍する岡篤志(27)も、2017年から3年間、ブリッツェンで活躍していた選手だ。増田は岡の話題になると、「僕の弟子のひとりです」と目を細める。

 その岡は奇しくもJCL TEAM UKYO移籍が発表される10月15日の午後、宇都宮市大通りを15周回するジャパンカップ・クリテリウム(全長33.75km)に強豪EFエデュケーション・イージーポストの選手として出場。並み居る海外の有力選手を抑え、3位入賞を果たした。

 岡は本来EFの下部チーム(NIPPOディベロップメントチーム)の選手だ。今回は参加する予定だったイージーポストの主力選手が体調不良で出場できなくなったため、直前になって急遽抜擢されたという。

 クリテリウムでは、岡はチームの期待以上の結果を出したと言っていい。が、実はこのときすでに、今年限りでEFから離れることが決まっていた。

「僕の所属しているディベロップメントは、来年から選手層をU23(23歳以下)で固める方針なんです。それはもう去年契約した時点で決まっていて、今年がラストチャンスだと言われていました。そういう中で(JCL TEAM UKYO移籍の)お話を頂いたので、これからも世界に挑戦したいし、自分自身、まだまだ成長していきたいです」

テレビや大手マスコミに露出しないという現実

 もっとも、客観的に見れば、JCL TEAM UKYOの未来は明るいとばかりは言えない。片山代表自ら「世界の壁、ハードルは高い」という通り、現実に日本のチームが世界最高ランクのワールドチームに昇格できるのか、そしてツール・ド・フランスに出場できるかどうかはまったくの未知数だ。

 それ以前に、日本では自転車ロードレースに対する一般社会の関心も依然として低い。実際、片山代表の新チーム発表も自転車関連のメディアはウェブで一斉に伝えたものの、全国ネットのテレビ局や全国紙など大手マスコミはほとんど触れようとしなかった。それが、日本のプロスポーツ界で自転車界とJCL TEAM UKYOが置かれた偽らざる現状なのである。

 しかし、発表の翌日に行われた3年ぶりのジャパンカップは、この競技ならではの迫力、面白さ、醍醐味を存分に堪能させてくれた。とりわけ、師弟関係にある2人、増田のブリッツェンでのラストラン、岡がEFでの最後のレースで見せた鮮やかな走りは、ファンの記憶に長く残るだろう。

 サイクルロードレースは、人間がエンジンに頼らないレースの中で、最も速いスピードで地上を走り、勝敗を争う競技である。

 ジャパンカップの場合は、各6人の国内8、海外10、計18チーム108人が参加。それだけの人数が、平坦で70km以上、下りでは100km以上に達する速度で、1周10.3km、最大標高差185mもある宇都宮森林公園周回コースを14周回、全長144.2kmを走り抜く。

 自転車のロードレースでは、スタートして最初に大きな集団が形成され、そこから飛び出し、「逃げ」に出る選手が現れる。すると、他チームの選手が追いかけ始めて、そこから選手同士、チーム同士の間で様々な揺さぶりや駆け引きが展開されていく。

 序盤から仕掛けたのは優勝を狙うトレック・セガフレード(アメリカ)とコフィディス(フランス)だった。そうした中、ライバルチームEFの岡は、集団の後方で優勝を狙うチームメートの風除けになり、いわゆる「前を牽く」役割に徹していた。

「まだ100kmもあるからゆっくり行け」

「きょうは逃げにトライするより、トレックとコフィディスの動きに注意しながら、集団をコントロールすることが僕の仕事でした。最初からペースが速くて、僕はスタート位置が後ろだったんで、最初は何もできなかったな。でも、チームメートと話し合ったり、他のチームに協力してもらったりして、何とか後ろから追いついたんですけどね」

 2周回した時点で、チームカーの監督からは無線を通じ、「まだ100kmもあるからゆっくり行け」と指示された。おかげで「そんなに足を使わずに牽けていた」という。

 一方、ブリッツェンの増田にとって、これほど速い展開は誤算だった。

【次ページ】 僕にとっても、忘れられないレースになりました

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