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「馬房はお花で一杯になっています」愛された名馬タイキシャトル(享年28)が過ごした“幸福な余生”…晩年を支えたホースマンの思い 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byDaisuke Asauchi

posted2022/09/18 11:03

「馬房はお花で一杯になっています」愛された名馬タイキシャトル(享年28)が過ごした“幸福な余生”…晩年を支えたホースマンの思い<Number Web> photograph by Daisuke Asauchi

今年8月17日、28歳で天寿を全うしたタイキシャトル。晩年を支えたノーザンレイクの佐々木祥恵さんに、現在の思いを聞いた

 ご存知の方も多いと思うが、佐々木さんは、競馬ポータルサイト「netkeiba.com」や「Loveuma.」などに寄稿する競馬ライターでもある。「netkeiba.com」の連載「第二のストーリー ~あの馬はいま~」などで、以前から、引退競走馬のセカンドキャリアについて書きつづけている。

 関東を拠点にライターとして引退馬についてカバーしているうちに、ついには、北海道の引退馬牧場で働くようになったのだ。

 最近、角居勝彦元調教師が引退競走馬のリトレーニングに積極的に関わったり、全国乗馬倶楽部振興協会が引退競走馬向けの馬術競技大会「引退競走馬杯」(Retired Racehorse Cup=RRC)を開催したりと、競走馬のセカンドキャリアに関する取り組みが活発になり、注目度も高まっている。そんななか、佐々木さんの引退競走馬との関わり方は、馬に対する強い思いと理想を形にした、ひとつのモデルケースと言えるのかもしれない。

「このおびただしい数の馬たちは、引退したら…」

 佐々木祥恵さんは、1966年、旭川で生まれた。小学校5年生のときに見たテレビ番組「3時のあなた」に写真家の今井寿恵さん(故人)が出ており、悲運の名馬テンポイントについて話していた。それをきっかけに競馬に興味を持ち、乗馬を始めるなど、馬と触れ合うようになる。

 大学生のとき、知り合いの乗馬クラブに、種牡馬を引退して乗馬となっていた皐月賞馬ハードバージがいた。その後、ハードバージが乗馬をやめて観光馬車を曳くようになり死亡した、という記事を見て、「乗馬クラブにいたとき、私が何かリアクションをしていたら状況が変わっていただろうか」と考えてしまったという。

 上京後、2000年ごろから競馬ライターとして執筆活動を始める。優駿エッセイ賞で次席になったのをきっかけにスポーツニッポンでコラムを書いたのが最初で、季刊誌「競馬の達人」で馬主インタビューを担当するなどしていた。

「競馬を見ていて、このおびただしい数の馬たちは、引退したらどうなるんだろう、と考えるようになりました。それで、ライターになったころ、いや、その前くらいから、引退馬協会代表の沼田恭子さんに会いに行くなどしていました」

 共著に『あの馬の素顔――「美浦・栗東・公営」厩舎リポート』、著書に『盲導馬をよろしく』などがある。競馬場やトレセンで取材をつづけ、2013年から開始した「netkeiba.com」の連載、「第二のストーリー ~あの馬はいま~」は人気コラムとなった。

「大それたことを考えているわけではないのですが、馬が好きだというのが大前提にあります。馬は、人のために命を懸けて走っています。生産頭数からしてすべての馬の余生の面倒を見るのは無理ですけど、縁のあった馬に対してだけでも、自分にできることをしたいな、と。引退馬について書くことは、自分の使命だと思っています」

【次ページ】 メイショウドトウらとともに暮らしたノーザンレイクでの日々

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