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「馬房はお花で一杯になっています」愛された名馬タイキシャトル(享年28)が過ごした“幸福な余生”…晩年を支えたホースマンの思い
posted2022/09/18 11:03
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Daisuke Asauchi
フランスのジャックルマロワ賞などGIを5勝し、史上初めて短距離馬として年度代表馬(1998年)になったタイキシャトルが、今年8月17日に世を去った。死因は老衰による心不全。28歳だった。
現役引退後は種牡馬となり、2003年のNHKマイルカップを勝ったウインクリューガー、05年のフェブラリーステークスを制したメイショウボーラーといったGI馬を送り出したほか、ダービー馬ワンアンドオンリー、GIを3勝した女傑ストレイトガールの母の父となるなど、その血をつないだ。
17年に種牡馬を引退したあとは、認定非営利法人引退馬協会が所有し、支援者の出資で支えられる「フォスターホース」として余生を過ごしていた。最初は浦河のイーストスタッド、次は日高町のヴェルサイユファームへと繋養先が変わり、21年6月、新冠の引退馬牧場「ノーザンレイク」に移動し、ここで天寿を全うした。
タイキシャトルは「寂しがり屋でしたね」
タイキシャトルを「シャトじいじ」「じっちゃん」と呼んで世話をしていたノーザンレイクの佐々木祥恵さんは、晩年のシャトルについてこう話す。
「現役時代から元気がよかったようです。ここに来てからも、たぶんイタズラだと思うのですが、人の足を踏もうとしたり、噛みつこうとしたりしていました。性格は、寂しがり屋でしたね。
年も年なので、天候によって熱発したり、疝痛になることがあったので、管理に気を遣いました。暑さが苦手で、陽射しが強いと元気がなくなるので、早めに馬房に入れて、扇風機の風を当てたりしていました」
夏場は日中、陽射しが強く、アブも多いので、毎朝4時か5時ごろに検温して、乾草を与えてから放牧に出す。8時くらいには他馬より先に厩舎に戻していたという。
現在シャトルの馬房は献花でいっぱいに
今回、佐々木さんに電話で話を聞いたのは、シャトルが亡くなってから2週間ほど経った、9月の初めだった。まだ悲しみが癒えない時期だったにもかかわらず、気持ちよく取材に応じてくれた。
「今、シャトルの馬房がたくさんの方々から届けられたお花で一杯になっていて、問い合わせや取材に対応したり、ほかの馬たちの世話をしたり、書く仕事をしたりしているうちに、どんどん時間が過ぎて行く感じでした」