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池袋でスカウトされて…稲村亜美が語る“神スイング”が生まれるまで「バットを振ったのも4、5年ぶりでした」始球式が毎回“ガチな理由”も明かした
posted2022/08/22 11:02
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Hideki Sugiyama
<前後編2回の前編/後編も読む>※敬称略
稲村亜美には真夏が似合う。東京・千代田区の文藝春秋社の屋上で行われたポートレート撮影。木製バットを渡し「ちょっとスイングを」という唐突なお願いに、すぐさま腰をぐっと落としてバットを構え、高層ビルをバックに豪快な弧を描いてみせた。
毎週木曜日のMCをつとめる「プロ野球ニュース」では、ホームラン映像をまとめた「今日のホームラン」のコーナーの前振りに毎回、その日アーチを放った打者のバッティングフォームの物まねを披露している。
「練習という練習はしていないんです。番組前に、『ちょっとこれ見てください!』って解説者の方にお願いして、『おお! いいじゃん、似てるよ』みたいな。それで本番に臨んでいます。今までで一番の自信作はDeNAの牧(秀悟)選手かな。あれは上手くできました。ヤクルトの村上(宗隆)選手は、シンプルで豪快ですよね。でも私が右打ちなので、左打者は難しい。あまりやりたくないんですよ(笑)」
2人の兄を見るうちに…中学時代は“硬式”野球
小さいころから体を動かすのが大好きだった。6歳上の長兄と4歳上の次兄がやっていた野球を見るうちに自然とボールを投げるようになり、少年野球チームに入った。
「最初は軟式野球で、ピッチャーとファーストを守っていました。生まれた時から体は大きくて、小学6年生の時にはすでに169cm。でも、実は鈍くさいので、ボールが体に当たることなんて日常茶飯事。チームで一番あざが多かったんじゃないかな。顔に当たったこともあります。でも周りにバレたくないんです。痛いのに、全然大丈夫、っていう顔をして。心配されるのが嫌だったので、気にしないようにしていました」
中学に入ると硬式のシニアリーグへ。約40人くらいのチームのうち女子は1人だけだったという。
「好きだったのは試合です。練習はとにかく走る量が多くて。体を鍛えるというか、体づくりがメーンだったので。女子というのも関係なく練習量は多かったです。中学になると男子との体格差とか運動能力の違いも出てくるんです。小学校の頃までは私の方が速い球を投げていたのに、いきなり抜かされてしまったり。それでも悔しさはなくて、受け入れた、というか逆にあきらめがつきましたね」
小学校低学年の頃は「将来の夢はプロ野球選手」と書いていたという稲村だが、中学卒業とともにきっぱりと辞める決心がついた。最近は女子高校生の硬式野球大会も盛んになり、プロ野球でも巨人、阪神、西武が女子チ―ムの運営に参入しているが、当時は「その先の道」の選択肢は少なかった。