甲子園の風BACK NUMBER
“強すぎる”大阪桐蔭は新1年生もスゴい! 中学通算50本の15歳スリランカ人が入学…憧れは森友哉、同級生は「すっごくいいやつ」
text by
イワモトアキトAkito Iwamoto
photograph byAkito Iwamoto
posted2022/04/04 06:00
センバツを制した大阪桐蔭に入学するラマル・ギービン・ラタナヤケ(15歳/身長180センチ、体重87キロ)
父バンダーラ・ラタナヤケさんが日本に留学生としてやってきたのは29年前。日本語学校、大学そして大学院へ進学し、学業の傍ら、アルバイトに明け暮れた。
まじめに働くバンダーラさんの姿に感心した新聞販売店の店主が、スリランカまでの飛行機代を工面してくれたこともあった。日本人の優しさ、礼儀作法、まわりへの気配り……何もかもが尊かった。スリランカに戻り結婚するも、妻とともに再来日し名古屋で就職、日本での結婚生活をスタートさせた。
2006年、2人の間に待望の長男が生まれた。
体重3406グラム、スリランカの公用語のひとつシンハラ語で『太陽のように輝く男の子』との願いを込めて『ラマル』と命名した。ミドルネームの『ギービン』は『音楽を聞くのが好きな男の子』。
友だちに誘われてバットを握った
ラマルが野球を始めたのは小学4年、友だちから誘われてバットを握った。「初めは思いっきり振る。ただそれだけで楽しかった」と笑う。地元のクラブに入団、初打席で放った打球は左中間へ、外野手がボールを追いかける姿を横目に訳も分からず必死でダイヤモンドを駆け、気づけば本塁を駆け抜けていた。ランニングホームラン、記念すべき第1号本塁打だった。
中学では地元の愛知港ボーイズに入団。15歳以下日本代表のコーチ経験もある堀田将司監督の元で練習に明け暮れた。「大変だったと思いますよ。特にここ2年は、コロナで思うように練習も試合もできず、それでもあいつは一度も腐ることはなかった。根が本当に真面目なんですよ」と堀田監督はたくましく育ったラマルの姿を見つめる。
練習の自粛期間中も自宅前での素振りやピッチングを欠かさなかった。全国大会出場など思ったような結果を出すことはできなかった。それでも「高校でも野球を続けたい。続けるなら高いレベルで」と願い、バットを振り続けた。