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「対局後に塾に行くことも」「将棋のおかげで考える習慣が」 中学受験と奨励会…中村太地七段が“12歳で文武両道”できた理由 

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中村太地

中村太地Taichi Nakamura

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photograph byGetty Images/Tomosuke Imai

posted2022/03/05 11:03

「対局後に塾に行くことも」「将棋のおかげで考える習慣が」 中学受験と奨励会…中村太地七段が“12歳で文武両道”できた理由<Number Web> photograph by Getty Images/Tomosuke Imai

小学校6年の頃に中学受験と将棋の奨励会受験を両立させた中村太地七段。当時の思い出について聞いてみた

 当時のスケジュールについて覚えている限りでは……奨励会は月に2回、さらに当時は平日にありました。その日以外は学校に行って、朝8時半~15時頃まで授業を受けます。そして学校帰り、週に3、4回ほど塾に通って、17~21時頃まで学習して、帰宅して少し将棋をやる、という感じでしょうか。たしか奨励会の対局が終わってから、そのまま塾に行ったという日もありました。

 ……こう振り返ると、小学生時代が一番大変だったのでは? と自分でも思います(笑)。

 ただ、明確な目的意識というか、モチベーションを高く保てていたから、頑張れていたとも思います。もちろん学校や塾の勉強で難しい問題が解けなかったり、そもそも受験に受かるかどうかという不安で、ストレスが溜まることもありました。

 ただ、将棋も勉強も自分の夢のためにやっているという意識はしっかりと持つことができていました。だからこそ頑張りがいが自分の中にあって、乗り切れたのだったと思います。

 なにより、盤面に向き合うことで「勉強するときは勉強、将棋に打ち込むときは将棋」と、気持ちの切り替えができていた気がします。そもそも将棋は「超」がつくほど大好きですからね。

 あとは奨励会の受験は夏、中学受験は翌年の2月頃と少しタイミングがずれているのも、「今はどちらの学びに重心をかけるべきか」を小学生なりに意識できたのかな、と思います。奨励会を受かってからは……まず中学受験に注力していこうと考えていました。

 実は私自身、奨励会での昇級スピードはそこまで速くありませんでした。それどころか最初の頃は全然で、1年でたしか……4級、3級だったでしょうか(奨励会は6級からスタートする)。

 周囲を見ると競争相手が速いスピードで上がっていったり、受験勉強でさらに上の学校を目指している人がいて、小学生なりに焦りはあったのは確かです。ただ「他の人と自分を比べても仕方ない、自分は自分で頑張るしかない」と気持ちの整理をつけていました。

 将棋を問わず、何かと両立して受験に臨む際には、バランス感覚を頭の片隅に置いておくと良いのかもしれません。

解く・覚える、そして「勉強する際の集中力」

 小学生当時、好きだった科目ですか?

 その頃は算数が得意だったし、好きだったんです。高校生になると数学で挫折したんですが(笑)。当時も今も、将棋と算数は通ずるところがあると感じていまして。いわゆる「解」を生み出していく手順がそれに当たりますね。算数は「解く系」の面白さですが、「覚える系」の面白さで好きだったのは社会です。手筋や戦型を覚えるように、記憶していく部分ですね。

 さらに科目を問わず共通するのは「勉強する際の集中力」でしょうか。

【次ページ】 順序立てて着手していく大切さは将棋から学んだ

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