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北京五輪、今だから書ける「顔色が悪かった」高木美帆(27歳)…オランダ人コーチの“復帰”で笑顔に「ヨハンの存在の大きさを感じた」 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2022/02/25 17:04

北京五輪、今だから書ける「顔色が悪かった」高木美帆(27歳)…オランダ人コーチの“復帰”で笑顔に「ヨハンの存在の大きさを感じた」<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

最終種目の1000mで個人初の金メダルを獲得した高木美帆。日本の女子アスリート史上初となる1大会4個のメダルを手にした

 こうして迎えた女子500mで、高木は銀メダルを獲得した。出場5種目の中で表彰台から最も遠いのではないかとみられていた種目で、100点満点の滑りをした高木は、高地リンクのカルガリーで出していた37秒22の自己ベストを0秒10上回る37秒12をマークし、2位になった。自分でも驚くタイムを見てガッツポーズを繰り返した後、真っ先に手でタッチしたのは、リンクサイドで見守っていたデビットHCだった。

「ずっと見ていてくれたのがヨハンだった。自分のちょっとした表情の変化やスケートの変化に気づいて、適切な言葉をつねにかけてくれていた。それが急になくなり、自分自身で変化に気づいたり、気持ちを奮い立たせなくてはならなくなったりした時に、ヨハンの存在の大きさをあらためて感じた部分はありました」

 レース前のウォーミングアップでは「肩に力が入っている」と何度も言われたという。いや、むしろ「それしか言われなかった」と笑った。

「その言葉にはいろいろな意味合いが込められていて、単純に力を抜けば良いというわけではない。その言葉の中から自分の動きにどういう変化が出ているのかという情報を拾ったりもするんです」

「1人では強くなりきれなかったのかな」

 デビットHCがナショナルチームのコーチに就任したのは高木が大学3年生だった2015年春のことだった。その3年前からナショナルチームでの練習をしていた高木は「ヨハンたちが来たことで練習の雰囲気が変わった。言葉(英語)を上手にしゃべれないので、ヨハンの言葉にひとつひとつ耳を傾ける。しゃべれなくても、ヨハンも自分たちに歩み寄ってくれた。一生懸命話したら聞き取ってくれるようになった」と語っていた。 

 最初は手探りだったが、「私たちが英語をしゃべれないからシンプルな言葉で説明してくれる。そのおかげで意識すべき部分についてもシンプルに考えるようになった」とも語っていた。

 デビットHCが来たことによって生じた「変化」が平昌五輪での躍進につながり、そこで生まれた高い意識の継続が、北京五輪での圧倒的な成績を実現させたのだった。

 女子500mのレース後、最後に高木は少し考えて間をとった後に、こんなふうにも語っていた。

「1人では強くなりきれなかったというところもあるのかな」

 高木が北京五輪でやり残したと感じるものがあるとすれば、それを埋めるためのカギはこの言葉に込められているのかもしれない。

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