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<22年間の激走を語る>福士加代子「マラソンのラスボス、倒せたかな」
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2022/02/25 11:01
「『実業団』って意味もわからなかった」
――確かに福士さんが醸し出している雰囲気って、大人になった今も遠足的です。いつもウキウキしていて、楽しそう。
「そうそう、そんな感じです。だから、ワコールに入っても同級生が仲良くて、ずっと遊んでいる感覚でした。先輩とも仲良くなって、じゃあかわいがってもらうには何が必要かって考えると、そっか練習を途中で終えずに最後までやり切れば、みんなと一緒にダウンまでできるんだな、って」
――陸上やっていなかったらいったい今頃なにをやっていたんでしょう?
「地元のりんご農園で働くか、実家の福士理容店を継いでいたか。或いは製パン関係か。高校にはヤマザキパンからも求人が来ていて、パンが好きだったからヤマザキパンかワコールか、ギリギリまで悩みました」
――そこ、悩みますか?
「高校出たらもう陸上をやる気はなかったんです。ワコールとか言われても、そもそも下着はトリンプしか知らなかったし、『実業団』って意味もわからなかった」
――僕でもワコールとグンゼは知ってます。
「当時はオリンピックもほとんど興味なくて、Qちゃん(高橋尚子)がゴールしたところは見ましたけど、その時は『金メダルすげー!』じゃなく、あっ唇がカピカピに乾ききっちゃってるよ、やべーQちゃん、みたいな記憶しかありません。マラソンが何キロかもわかってなかったし」
――なのに気がつけば、日本を代表する長距離ランナーになっていました。
「それはたぶん会社で働いたおかげもあるんです。社員さんたちに囲まれているので、レースで勝つと『お前すごいな』とチヤホヤされてみんなで宴会、しかも一番年下の私はいつも奢られてばかり、そんなノリですからね。じゃあ次も頑張るぞ! って。
ランニングの方も、最初の半年はぜんぜんチームの練習についていけなかったですけど、徐々にできるようになっていくと、そこから走るのが面白くなりました」
――ランニング人生で面白くなかった時期とかあるんですか?
「あります、あります! 寮からずっと出れなかった時期。5年くらいかな、夜9時半とか10時の門限で」
――恋愛禁止、みたいな意味合いも込めての門限なんですか?
「いや、恋愛はオッケーなんですけど、朝練があるので、夜10時から7時間の睡眠を取って活動しなさいよと。でも私は夜寝たくない人だから、遊びに出かけてました。寮のドアはセコムがかかっちゃって一切入れなくなるんです。でも点呼するわけじゃないので、そのまま朝まで帰って来なければ、セコムも怖くはないんです(笑)」
――9年前、練習が辛すぎる、一等賞獲ったらマラソンはもうやめる、って言ってましたけど、結局やめませんでしたね。