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《追悼》国見で6度選手権制覇、名将・小嶺忠敏が明かしていた“三浦淳寛の伝説” 「大会期間中だけは自主練習をやめてくれ」
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/01/07 11:04
小嶺忠敏が厳しくも愛情のこもった指導で育てた“個性的プレーヤー”は数知れない
語り継がれる“三浦淳寛の伝説”
ただし、小嶺のチームの本当の強みは、それだけではないと、渡邉は言う。
「当時の練習って、誰かに教えられるというより、どういうトレーニングをすれば伸びるのか、自分で考えるんです」
国見では代々、ある逸話が語り継がれている。“三浦淳寛の伝説”だ。
1992年度の第71回大会開幕直前のことだった。早朝5時。東京近郊の宿舎で練習着姿のまま寝ていた三浦は、チームメイトたちを起こさぬように、そーっと布団を抜け出した。ボールを持って、近所の公園へと向かう。普段のルーティンどおり、リフティング、ドリブル、キック、腕立て伏せをこなし、宿舎に戻る。ところが玄関先に、男が仁王立ちしていた。
小嶺だった。
慌てて挨拶する三浦に、指揮官が言った。
「大会期間中だけは自主練習をやめてくれ」
「お前がこの大会のためにずっと朝練習してきたことは知っている。だからこそ万全の体調で、試合で活躍するために、大会期間中だけは自主練習をやめてくれ」
三浦は、引かない。
「先生、大丈夫です。絶対に無茶な練習はしませんから、やらせてください」
こうして小嶺のディフェンスを突破した三浦は、早朝練習をこなしながら大会でも6得点の活躍。見事に優勝旗を持ち帰った。
国見では普段、朝6時10分からチーム全体での朝練習を体育館で行なう。三浦はその前に同級生の永井篤志とともにグラウンドへ出て、自主練習に励んだ。それを3年間続けた“努力の人”は、こう語った。
「小嶺先生は、どれだけ仕事が忙しくても、選手がどんな行動をしているか把握しているんです。国見といえば理不尽な練習をやらされるイメージを抱かれがちですけど、僕らの感覚では自主的に率先して取り組んでいたつもりです。なにせチームメイトは全国から集まった優秀な選手ばかり。少しでも気を抜けば、大会のメンバーに入れない。だから、昼休みになれば誰もが自主的に筋トレをしていましたし、僕もシャワールームで腕立て伏せをやるのが日課でした」
あれから27年――。小嶺が“伝説”の真相を教えてくれた。