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昭和のパ・リーグファンがケンカ、ダイエー選手バスに生卵投げつけ事件も…大阪で愛された“消えた野球場”「日生球場」、今は何がある?
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph bySankei Shimbun
posted2021/12/31 11:06
1996年5月、日生球場でプロ野球最後の試合となった近鉄対ダイエー戦。翌97年に閉鎖されたが…日生球場、今は何がある?
いちおうは、日生球場であったことを記憶に残すようにBASEパークという一角が整備されているというが、この中で遊んでいる子どもたちは、かつてここで近鉄の猛牛戦士たちが躍動した、ことは知らないだろう。
球場跡の前の歩道は、野球場を模したダイヤモンド型のブロックで舗装されている。この道を、阪神高速と大阪城を見ながら少し西に向かって歩いてみる。すると、難波宮という史跡公園があった。古くは大化の改新直後や聖武天皇の時代にわずかな期間都が置かれていたという。
上町台地という大阪平野の中でわずかに高い場所の突端。そこにかつて宮殿が築かれ、中世には隆盛を誇った石山本願寺の本拠地となり、その後大阪城が鎮座した。そんな地が戦争で焼け野原になり、そこからわずか5年後に灯った野球の火。日生球場は、悠久の歴史の中で見れば、そういう存在なのかもしれない。
(写真=鼠入昌史)