第98回箱根駅伝(2022)BACK NUMBER

1位は千葉、2位は兵庫……「山の神」の福島は?〈箱根駅伝〉が関東大会なのに全国的な人気になった理由 

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出口庸介

出口庸介Yosuke Deguchi

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photograph byNanae Suzuki

posted2021/11/30 11:00

1位は千葉、2位は兵庫……「山の神」の福島は?〈箱根駅伝〉が関東大会なのに全国的な人気になった理由<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

前回大会の青学大。兵庫県出身・岩見秀哉(右)から、千葉県出身・飯田貴之にたすきが渡された

人影もまばら……箱根駅伝には冬の時代もあった

 1953年からNHKのラジオ放送が始まったが、当時は昼のニュースを挟んで2時間程度で録音なども駆使した。1964年東京五輪の前から、ロード競技もテレビ放映されるようになったが、箱根駅伝は技術的にもコースの地形的にも問題が山積し、テレビ局は中継に二の足を踏んでいた。

 1979年からテレビ東京(当時は東京12チャンネル)がフィニッシュの場面を中心としたニュース的な番組の放映を始め、1981年から放送枠が1~2時間に拡大したものの、まだ全国区ではなかった。一方、日本テレビが下見や電波テストを繰り返しながら、第63回大会(1987年)から生放送を始めたことで、箱根駅伝は一変し、全国区の人気となっていった。

 現在の隆盛からは信じられないが、箱根駅伝には冬の時代もあった。日本が高度経済成長期に入った1960年代に中大で選手、後に指導者、テレビ解説者として、長く箱根駅伝に関わった碓井哲雄さん(今年9月に逝去)は、「本気でやっていたのは中大、日大、早大くらいで、後は参加に意義ありでしたよ。力を入れる大学も少なく、シード権を取れなくても、また出られるさ。そんな感覚でしたね」と語ってくれたことがある。

 1980年代の専門誌には、「1区の選手は人影もまばらな、都心を南下していく」との表現も見られた。中継所は別にして、ようやく観衆が増えるのは西湘地区に入ってからだった。戦前から同地区では大会前に各校が合宿を行い、5区、6区の選手は「箱根に山籠り」で練習をしていたので、箱根駅伝が身近な存在だったからだ。

初の総合優勝で受験者が増大した東洋大学

 駅伝は日本固有のスポーツで、身近な存在である。テレビ中継では各選手がフルネームで呼ばれ、必ず出身高校も紹介される。ひたむきに走る選手が感動を呼び、甲子園の高校野球と同じで同窓、同郷なら応援にも力が入る。その大学出身者でなくても、親類縁者に関わりがあると親近感を持つだろう。

 スタジオ、放送車とのリレーも抜群だ。放送車から「大変です!」と声がかかれば、何となくみている視聴者でも再び画面に引き戻される。とにかく飽きさせないのだ。大都市から湘南の海、松林、白妙の富士を仰ぎつつ、箱根山中に入る風光明媚なロケーション、「山の神」などネーミングの巧さも、人気を支える要因のひとつだろう。

 柏原が大活躍して第85回大会(2009年)に初めて総合優勝した東洋大学は同年、1万人も受験者が増加し、連覇を果たした翌年もさらに4000人増だった。私立学校振興・共済事業団によると、現在は少子化もあって「全私立大の46.4%にあたる277校が定員割れ」だという。

 これからも箱根駅伝に力を入れる大学は増加し、競争が生まれるだろう。それによってドラマが起こり、箱根駅伝の人気を増幅させる。全国的な人気の広がりは、まだまだ加速しそうだ。

~主催者からのお願い~

今大会は新型コロナウイルス感染症感染拡大防止の観点から、主催者として次の対応を行います。皆さまを、選手を、箱根駅伝を守るために、ラジオ、テレビ等の媒体を通じて応援をお願いいたします。

・出場チーム、運営スタッフを含む大会関係者は、大会前2週間の体調、体温を記録し、異常がないことを確認した上で大会に参加します。

・出場チームの大学関係者や応援団、OB・OG、保護者による来場および沿道での応援行為については強く自粛を求めます。

・地域の皆さまには、応援のための外出をお控えいただき、特に沿道やスタート/フィニッシュ地点、中継所などでの観戦や応援行為はご遠慮くださいますようお願い申し上げます。

その他の対応はこちらをご覧ください。

ご理解、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

 

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