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<引退>「現役は40、50歳まで」斎藤佑樹がグラブに刻んだ“不死鳥”のマーク…早大時代を知る記者が見た、繊細なスターの姿とは

posted2021/10/02 06:00

 
<引退>「現役は40、50歳まで」斎藤佑樹がグラブに刻んだ“不死鳥”のマーク…早大時代を知る記者が見た、繊細なスターの姿とは<Number Web> photograph by Waseda Sports

大きな期待を背負ってプロ野球の世界に飛び込んだ斎藤佑樹

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田村航平(文藝春秋)

田村航平(文藝春秋)Kohei Tamura

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10月1日、斎藤佑樹が今季限りでの現役引退を発表した。2006年夏の甲子園で優勝投手となり、「ハンカチ王子」として世に出てから15年。斎藤の1歳下で、「早稲田スポーツ新聞会」の記者として大学時代から斎藤に接し、その後はNumber編集部で斎藤のプロ入り後も取材を続けた筆者が、その素顔を振り返る。

 斎藤佑樹の血液型はA型だが、大学3年まではO型を自称していた。

「20年間、ずっとO型だと思って生きてきたんです。それが初めて血液検査を受けたところ、A型で」

 O型の頃はおおらかだったのに、A型と告げられてからは繊細な性格になりました――そう言って、大学生の斎藤は笑っていた。

 血液型が“変わった”ことが影響したのかはともかく、それから数年間の斎藤は確かに繊細に見えた。

心に抱いていた「4年間のプライド」

 プロ入りしてからは、斎藤の頭上をさまざまな声が飛び交った。投球フォームの修正を促したり、田中将大と比較したり――そんな声に対して、斎藤は耳をふさいだ。プロ1年目のことを、後にこう話してくれた。

「大学で4年間やってきたプライドもあったので、それを否定されたくなかった。否定されたくないからこそ、自分は正しいんだとずっと思い込んでいたんですけど」

 これまでの野球人生、多くの人が斎藤の前を通り過ぎていった。そんな人たちを観察しているうちに、ある境地に辿り着いたという。

「人って意外と、他人に興味がないんだなって思った。プロ入りした頃は自分のことを“好きな人”と“嫌いな人”にはっきり分かれていると思っていて、視線を感じると『悪口を言われているのかな』と。でも、実際は、自分のことを何とも思っていない人が大勢いる。それに気づけたときに、楽になれたんですよね」

【次ページ】 一番の武器は「観察眼」だった

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