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「もう時間がない」「助けて!」…東京パラのアフガン選手が体験した“48時間の脱出劇”〈史上最大の救出作戦〉 

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田村崇仁

田村崇仁Takahito Tamura

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posted2021/10/01 17:03

「もう時間がない」「助けて!」…東京パラのアフガン選手が体験した“48時間の脱出劇”〈史上最大の救出作戦〉<Number Web> photograph by AFLO

アフガニスタンのパラ代表2選手が閉会式を並んで歩く。出場までには“壮絶なドラマ”があった

 希望の扉は英国軍の管理する保安ゲート。英国パラリンピック委員会とも連携し、21日午前に空港に到着した2選手が、そこに到達できたのは23日の明け方だった。ゲートをくぐり抜けるまでの48時間の脱出劇。その間、飲食はほとんどできず、2選手ともふらふらの状態だったという。

 フダダディは「空港で経験した事実は決して忘れない」と後に振り返ったが、その後はスポーツ界を中心とした要請で政府が動いたオーストラリア空軍に保護され、23日のうちにカブール空港から出国。ドバイ郊外の連合軍基地に一時避難した。

脱出からわずか3日後に自爆テロが発生

 救出作戦ではアフガンの市民団体から連絡を受けたフランスのスポーツ省も力添えをしていた。国防、外務両省と連携し、移送手続きに着手。2選手は秘密裏にドバイ経由でフランスに移り、パリの国立スポーツ体育研究所(INSEP)に滞在。厳戒態勢の下、極度のストレスを経験した精神面のケアを含めて体調を整え、一歩ずつ日本行きが現実化していった。

 出国から一連の過程では「人命最優先」の方針の下、オーストラリア、フランス、英国などがIPC、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などと連携して緊急支援を行った。ただ2選手がパリに移動して3日後には、カブール空港周辺で爆破テロが発生し、米兵13人を含む180人以上が死亡する惨事が起きた。まさに「時間との闘い」を象徴する危機一髪の出来事だった。

 羽田空港から外部が接触できないルートでたどり着いた選手村では、IPCのパーソンズ会長が出迎え、英国在住のアリアン・サディキ選手団団長とも再会できた。同席したクレイグ広報部長は「全員が涙した。映画のワンシーンを超えて時が止まったようだった。あれほど感情的な瞬間は人生で初めてだ」と振り返った。

奇跡の出場「世界中の人々がわれわれの声を聞いてくれた」

 混乱する祖国を国際支援で脱出し、夢を実現させた2選手は世界にどんな一石を投じたのか。五輪とは異なり、パラの選手は戦争で負傷したケースも多く、世界の不条理を映し出す鏡でもある。

【次ページ】 「恐怖政治」に脅えるスポーツ選手は彼らだけでない

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