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「酔った芸者が度がすぎた冗談を言った」赤坂の料亭でピストル発砲事件…仲の悪い“3人のボス”が日本ボクシングを統一させた
posted2021/09/27 17:07
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph by
KYODO
暴発寸前だった帝拳会長・田辺宗英と、大日拳会長・嘉納健治の両者を宥和させようと、手打ちの席を設けたのが右翼団体「愛国社」を主宰していた岩田愛之助である。
もともと嘉納健治の子分だったが、同時に田辺宗英とも昵懇にしていた。
この時代、両者に顔が利く唯一の存在だった。
岩田が仲介に入ったのは「人情」もあったが「シノギ」に影響すると考えたのだろう。というのも岩田は、愛国社の運営資金の多くを拳闘興行で賄っており、両者が揉めるより手を組んだ方が都合がよかったためだ。
しかし、定刻の午後5時半が過ぎても嘉納健治は現れず、30分経っても1時間経っても姿を見せなかった。待たされた田辺宗英が不機嫌だったのは想像に難くない。仲介者の岩田が電話口で泣訴したことは先に触れた。
定刻より2時間遅れて赤坂の料亭「はせ川」に嘉納健治が現れた。ひとまず岩田愛之助の面目も保たれた。とはいえ、問題はここからである。不穏な空気は座を支配していたに違いなく、どうやって2人の関係を修復させるか岩田は頭を悩ませたはずだ。そうでなくても、嘉納健治は田辺宗英の後見人とも言うべき小林一三との因縁もある。田辺にとっても自分のシマである東京の拳闘界に殴り込まれたばかりか、選手まで引き抜かれて簡単に許せるはずもなかった。
岩田愛之助は双方に酌をして、世間話に花を咲かせた。幇間に徹して場をなごませようと必死だった。
「酔った芸者が度がすぎた冗談を言った」
そのときである。「酔った年増芸者が度がすぎた冗談を言った」と田辺の追悼録にある。剣呑なこの状況でどうして「度がすぎた冗談」が言えるのか理解できないが、ここから事態は急変する。
気分を害したと思しき嘉納健治が、懐の拳銃を取り出し天井にぶっ放した。評論家の都築七郎は「別の証言」と断った上で「嘉納が田辺に銃口を向けたが、田辺は動じず平然と酒を呑み干した」と書く。
いずれにしても「手打ち失敗」に映るが、どういうわけか、ここから両者は打ち解け意気投合し、深夜まで痛飲したという。にわかに信じ難い顛末となるが、こののち大日拳主催の「第3回全日本選手権」に帝拳も参加し、第4回大会からは大日拳と共催していることから、和解劇は遠からず事実なのだろう。
とはいえ、その後も田辺と嘉納は喧嘩と和解を繰り返し、その都度、岩田愛之助が奔走し骨を折る羽目となる。余談になるがこの翌年、角界の体質改善を目的に幕内力士の天竜三郎が「春秋園事件」を起こしている。その際にも、岩田愛之助は天竜の許に再三出向き、大日本相撲協会(現・日本相撲協会)への帰参を働きかけている。
後年「頭山満の後継者」と目される岩田愛之助が「天下の周旋家」として声望を集めたのは、この時期の挙措も無関係ではなかったのである。