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《訃報》バイエルン番記者が振り返る“爆撃機”ゲルト・ミュラーの人生…恐れられ、愛された「566ゴール」 

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パトリック・シュトラッサー

パトリック・シュトラッサーPatrick Strasser

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posted2021/08/19 17:01

《訃報》バイエルン番記者が振り返る“爆撃機”ゲルト・ミュラーの人生…恐れられ、愛された「566ゴール」<Number Web> photograph by AFLO

1974年西ドイツW杯で母国の優勝に貢献したゲルト・ミュラー

 75歳で、ミュラーと同い歳のフランツ・ベッケンバウアーはかつてこう言ったことがある。

「今のバイエルンがあるのは、すべてゲルト・ミュラーのおかげだ。ゲルトの得点がなければ、私たちは今日もゼーベナー通りの掘っ立て小屋に座っていただろう」

 そしてパウル・ブライトナーも言っていた。

「ゲルト・ミュラーは、1954年以降のドイツで最も重要で偉大なサッカー選手だ。今のFCバイエルンとドイツ代表があるのはゲルト・ミュラーのおかげ。そして私もだ」

 恐れられたボンバー、誰からも尊敬されたミュラー、愛されたゲルトを前に、これ以上深く頭を下げることはできないだろう。

 織物職工としての職業訓練を受けたミュラーにカリスマ性はなく、サッカー以外の生活では問題を抱えていた。80年代にはアルコール依存症になり、フロリダでのレストラン開業に失敗して財政難に陥った。友人であるフランツ(・ベッケンバウアー)とウリ(・ヘーネス)が救いの手を差し出し、バイエルンでのコーチとしての仕事を与え、再び支えができた。それは「友人たちの助けがなかったら、私はおそらくやっていけなかっただろう」とミュラーも認めていた。

 天国にプレーグラウンドがあったら、ミュラーはそこで猛威を振るうだろう。軽く体をひねったかと思うと、ゴールが入っている。ミュンヘンのこの数日の閃光や雷鳴は、夏の嵐ではない。天国でゴールが決まるドーンという音だ。ここ地上ではミュラーとその得点は、永久に忘れられないだろう。

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