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《訃報》バイエルン番記者が振り返る“爆撃機”ゲルト・ミュラーの人生…恐れられ、愛された「566ゴール」
posted2021/08/19 17:01
text by
パトリック・シュトラッサーPatrick Strasser
photograph by
AFLO
半年くらい前から、この悲しいニュースがいつ入ってきてもおかしくなかった。ゲルト・ミュラーが死に近い状態にあることを私は知っていた。ドイツサッカー史上最も偉大な選手であったミュラーは、もうしばらく前から緩和ケアしか受けていなかったし、死は時間の問題だったのである。
8月15日、日曜日の昼にFCバイエルンがホームページで発表したこのニュースを携帯電話のプッシュアップ機能で知らされた瞬間、私は目を閉じて深く息をついた。いくら準備していても、やはり相当なショックだった。
そして私はまず、家族であるウシ夫人と娘のニコルさんが感じているであろう心の痛みのことを考えた。
ミュラーは、ミュンヘンの南の方にある介護施設で75歳で逝った。アルツハイマー病のために容赦なく悪化する認知症について、数週間前にウシ夫人は「ゆっくり眠りかけています」と言っていた。本当にそんな風に安らかに眠りについたと祈りたい。
2014年12月以来、毎日施設を訪問して夫を介護してきたウシさんは、去年春にコロナの第1波で3カ月間施設に入れなくなるまで、「彼が自分の運命と、人間の最後の尊厳までを奪うこの病気について考えなくてすみますように」と願って止まなかった。
最後の方は、少なくとも1967年の結婚以来ずっとそばにいたウシさんの声だけはわかったことを喜んでいた。亡くなる2週間前から、ほとんど何も食べたり飲んだりしたがらなかったらしい。忘却に対する戦いにミュラーはすでに負けており、その身体も戦うつもりがなかった。
自分と自分の人生、サッカー、素晴らしいキャリア、数々の成功と記録と得点……すべての記憶は無常に消えてしまった。砂時計の砂が落ちるように。この恐ろしい病気が彼から、平穏な老後の生活を奪った。ミュラー自伝『デア・ボンバー・デア・ナツィオン』(「国の爆撃機」の意。2015年リバ出版、ウド・ムラスとの共書)を執筆した私としても、この誠実で親近感のあるミュラーがウシさんとの余生を楽しむことができることを心から願っていた。
しかし残念ながらそれは叶わなかった。