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なぜ王様ペレは「30歳で代表引退」「背番号10を特別な番号」にしたのか… ブラジル人重鎮記者だからこそ知る“天才性”

posted2021/08/16 11:01

 
なぜ王様ペレは「30歳で代表引退」「背番号10を特別な番号」にしたのか… ブラジル人重鎮記者だからこそ知る“天才性”<Number Web> photograph by Colorsport/AFLO

ジュール・リメ杯を手にするフットボール界の王様ペレ。デビュー当時からよく知る重鎮記者に語ってもらった

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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フットボール界の王様と言えばペレ。半世紀前の1971年7月、まだ30歳の若さでブラジル代表から引退していた。そんなペレの逸話を知るブラジル人の重鎮記者にその天才性と逸話を聞いた(全2回/後編はこちら)

「前半が終わると、ピッチのほぼ中央にセレソン(ブラジル代表)の選手たちが集まった。

 GKフェリックス、MFリベリーノ、MFジェルソン…。前年のワールドカップ(W杯)メキシコ大会で共に優勝を達成した戦友を含む選手たちが、一人ひとり、背番号10と固く抱き合う。皆、涙を流していた。

 やがて、背番号10はスタンドへ向けて走り出した。

 観衆は皆、総立ちで、大の男たちがまるで子供のように泣きじゃくっている。彼らがシャツを脱いで振ると、背番号10もユニフォームを脱いで振り返す。王と臣民の最後の交歓だった。

 キングの頬には、大粒の涙が流れていた。1957年、16歳でカナリア・イエローのユニフォームに袖を通して以来、14年。その間の様々な思い出が、胸をよぎったのだろう。

 スタンドを埋めた14万人近い観衆が、『フィッカ、ペレ』(ペレ、辞めないで)と叫ぶ。繰り返し、また繰り返し……。いつしか私も、それに唱和していた。

 この不世出のフットボーラーがもう二度とセレソンでは見られないという悲しみに、胸が張り裂けそうだった。その一方で、彼の芸術品のような美しいプレーの数々を目撃できた幸福に思い至り、全身に鳥肌が立った……」

 当時24歳で、リオのスポーツ紙「ジョルナウ・ドス・スポルチス」の若手記者として健筆を振るっていたマリオ・ネット(74)は、半世紀を経た今、コパカバーナの瀟洒なアパートの居間でこう述懐する。

セレソンで92試合77得点、強い慰留があったけど

 1971年7月18日、ペレはリオのマラカナン・スタジアムでユーゴスラビア代表との代表引退試合に出場した。前半だけピッチに立ち、相手ゴールを3度、脅かした。

 当時、ペレは30歳9カ月。この試合でもチームで最も危険な存在で、まだまだセレソンでプレーできるのは明らかだった。しかし、ブラジルスポーツ連盟(ブラジルサッカー連盟の前身)、メディア、ファンからの強い慰留や懇願にもかかわらず、彼は代表から引退することを決めた。極めて残念ではあったが、それは彼が自分で決めたことだった。

【次ページ】 ペレの由来は「ビレ」という名のGK?

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