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《五輪金メダル・決勝本塁打!》村上宗隆が高校時代に号泣した日… それでも恩師が一目で「この子はプロ」と語った理由
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2021/08/07 22:30
ヤクルト1位指名を喜ぶ高校3年時の村上宗隆。彼が2年後に36本塁打を放ち、2021年に東京五輪金メダリストになると想像した人がどれだけいるだろうか
3年生の春にはキャッチャーだった。
村上宗隆は3年生の春には、「捕手」としてマスクをかぶっていた。
雑誌『Number』の取材で村上宗隆に会ったのは、その頃だった。
捕手としての所作が意外と(失礼!)堂に入っていて、間違いなく野球上手。
キャッチャーも上手にこなしてるね、と振った時の反応がかわいかった。
「いや、キャッチャー、怖いです! ショートバウンド、怖いし痛いし。将来的には、たぶんムリっすね」
あっさり“告白”してくれた。
「アハハ、そんなこと言うとったですか……そりゃあ痛かったでしょうね。あの時、村上も20キロぐらい体大きくなってて、プロテクターが小さくて外に出てる部分多くて、ボコボコ当たっとったし、レガースもピチピチでゴムが痛かったろうし」
「村上の打席は、半分ぐらいが四球」
同時に、“もう1つの怖さ”も感じていたのだろう、と坂井監督は振り返る。
「今日はできたけど、明日はわからない。そんな危機感みたいなものをいつも持ってたのが、あの頃の村上でしたからね。そういう怖さを感じていたから、あれだけ練習できたともいえるんです。
反復練習をやり過ぎるぐらい繰り返して、自分の体に刷り込んだ技術だったから、プロ2年目でも一軍の全試合を全うできたんじゃないですかね。振り込んで、食い込んで、トレーニングで体を強くして……遠い将来を見据えながら、いまの努力を続けられる。なかなかできることじゃない。それが、村上のすごさなんじゃないかなぁ」
高校通算52本塁打。
間違いなく一級品の数字だが、その“内容”も超一流だったという。
「村上の打席は、半分ぐらいが四球だったんですよ。警戒されて怖がられて、公式戦はほとんど勝負してもらえない。練習試合でもチャンスに村上だと、ほとんど四球でした。
バッティングに自信のあるヤツって、そういう時にボールとわかっていても打ちにいったりするじゃないですか。村上にはそれがなかった。自分のために打ちたい、打ちたいじゃない。ちゃんと四球もらって、チームの勝ちのためにチャンスを広げる。ホームランやアベレージより、打点のほうを大事にしてるようなヤツでしたから、今シーズン(2019年)の結果にも、決して満足してなかったですね」