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あだ名は白豚、髭愛好家…“井上康生以来の金メダリスト”25歳ウルフ・アロンが「負けない柔道家」になるまで
posted2021/07/30 17:05
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Getty Images
こらえきれずに目頭を押さえた。
柔道男子100キロ級決勝、ウルフ・アロンは、9分35秒もの激戦を渾身の大内刈りでの見事な1本勝ちで制した。この階級では2000年シドニー五輪で井上康生(現男子日本代表監督)が獲得して以来の金メダル。これでウルフは全日本選手権、世界選手権、五輪と3つの大会を制したことになり、「柔道3冠」を達成した。
「泥臭い柔道が持ち味。最後まで貫いて勝つことができてよかった」
「負けない柔道家」を目指し、「考える柔道」を実践してきたウルフの真骨頂の試合だった。
小6で160cm90kg あだ名は「白豚」
ウルフが柔道を始めたのは6歳の時だった。
祖父に「体が大きいから柔道でも始めたらいいのではないか」と言われ、講道館の春日柔道クラブに行った。実際かなり大きく、小1の時にすでに130cm、30キロあったというから驚く。アメリカ人の父親からの遺伝はもちろん、食欲も旺盛でさらに成長した。
小6になると160cm、90キロになり、ついたあだ名は「白豚(はくとん)」。「体が大きくて、肌が白いので」とウルフは苦笑していたが、小学校の卒業アルバムは、本人曰く「写真がまったくいい感じがしない」というほどの見事な成長ぶりだった。肝心の柔道は、ほとんど練習せず、その大きな体とパワーと勢いだけで勝っていた。
だが、中学に入り、中2になると1学年下の選手に負けるようになった。
「年下の選手に負けるようになって、さすがに自分が許せなくなりました。柔道は勝ってこそ楽しい。もう負けたくないので、この時からかなり身を入れて練習するようになりました」
東海大浦安高校2年の時はインターハイの団体戦で優勝するなど、高校3冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成する。だが、この時もまだ、恵まれた体格から繰り出されるパワーと抜群のスタミナで勝負していた。
どうやったら勝つかよりも、どうやったら負けないか
本格的に柔道を考え、「負けない柔道家」を目指したのは東海大に入学してからだった。