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「《ウヒョー》という奇声も…」加藤一二三の悲願 42歳で名人奪取、中原誠との壮絶な名勝負〈若き“ひふみん”の秘蔵写真も〉
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKyodo News
posted2021/08/01 06:01
42歳で悲願の名人位を獲得した加藤一二三九段(1982年)
本局の担当記者は、そのときの光景を、メモに次のように記した。
「一分将棋になった加藤は膝を突き、立ち上がって《ヒャー》と声をあげる。次いで《フーム、なるほど、なるほど》」
控室にも響いた《ウヒョー》という奇声
実際に、対局室から10メートルほど離れた控室にも、加藤の《ウヒョー》というような奇声が聞こえたという。それは勝利の雄叫びだったのか……。
7月31日午後9時2分。名人戦第8局で加藤は中原に勝った。
加藤は3回目の名人戦挑戦で、悲願の名人位を42歳で獲得した。
加藤は、1982年の名人戦の最終局での心境と、終盤で勝ち筋が見えた状況について、後年にインタビューや著書で、次のように語った。
「対局中は、数日前に読んだ旧約聖書の一節の《あわてないで落ち着いてことを進めろ》という言葉を、何回も心の中で唱えました。終盤で詰みを見つけると、《あっ、そうか》と叫びました。世間では、私が喜びのあまり、興奮して奇声をあげたと言われています。しかし、その言葉の裏には、いつの日か必ず名人になれると信じて精進してきたことが叶うんだ、という万感の思いが込められていたのです」
40年以上前は求道者のように寡黙だったが
私こと田丸が40年以上も前に抱いた加藤の印象は、求道者のように寡黙で近寄りがたかった。しかし、名人を獲得して以降は、それで大きな自信を得たようで、とても明るくて饒舌になった。食欲も旺盛になった。
加藤名人は1983年の名人戦で、21歳の挑戦者の谷川八段に2勝4敗で敗れ、初防衛は成らなかった。
名人を失ったうえに「無冠」となった中原九段は、一時的に低迷したが、過激な棋風に転じて新境地を開いた。1985年の名人戦で、谷川名人に挑戦して4勝2敗で破り、名人復位を果たした。
私が以前に撮影した中原、加藤らの盤外の写真を紹介する。