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「《ウヒョー》という奇声も…」加藤一二三の悲願 42歳で名人奪取、中原誠との壮絶な名勝負〈若き“ひふみん”の秘蔵写真も〉
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKyodo News
posted2021/08/01 06:01
42歳で悲願の名人位を獲得した加藤一二三九段(1982年)
第8局までもつれ込んだ82年の名人戦
1982年の名人戦は、名人位を連続9期も保持していた中原名人に、加藤九段が挑戦した。
第1局は「持将棋」(双方の玉が敵陣に入り合って決着がつかないこと)となり、名人戦は波乱含みで開幕した。
第2局(持将棋は1局分とみなした)以降は、3勝3敗と拮抗した。それらの対局の間には、中盤での「千日手」(同一手順や同一局面が繰り返されて無勝負)が2局も生じた。
当時の対局規定では、2日目の午後3時を過ぎて千日手の場合、次の対局日程に繰り延べて指し直した。
そのために、4月中旬に始まった名人戦の日程は延長され、第8局は7月30・31日に行われた。
名人戦第8局の対局場は、東京・千駄ヶ谷の将棋会館。改めて「振り駒」が行われ、加藤が先手番となった。戦型は、前9局と同じ「相矢倉」。持ち時間は各9時間。
1日目の午後、中原はいきなり攻め込んだ。そして、夕方の「封じ手」で指し掛けた。
2日目は、激しい攻め合いとなった。加藤は、54分、140分、65分と長考を重ね、中盤で残り時間は1時間を切った。
台風接近の中、東京の将棋会館に多くのファンが
当時は、現代のようなリアルタイムのネット中継はなかった。将棋ファンは、東西の将棋会館などでの大盤解説会に行くしか情報を得られなかった。
2日目の東京は、日中は晴れていたが、台風が接近して夕方から風雨が強くなった。それでも500人を超す将棋ファンが「天下分け目の戦い」を観戦に東京の会館を訪れた。新A級棋士の谷川浩司八段は戦況を詳しく解説した。
中盤では中原が優勢だったが、空模様と同じく盤上も急変した。中原に疑問手が続出し、終盤では形勢がついに逆転した。
長考派の加藤は持ち時間をいつも使い切り、「一分将棋」の秒読みに追われるのが常だった。しかし本局では、持ち時間を少し残すことを意識したという。終盤の土壇場の局面で、8分の残り時間があり、相手玉の詰みを懸命に読んでいた。
残り時間1分、詰みを発見すると……
控室の研究では、中原の玉に詰み筋が確認されていた。
しかし、加藤はなかなか指さない。ある変化手順の詰みがわからなかったという。やがて残り1分の時点で、やっと詰みを発見した。