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遂に帰ってきた「強いホンダ」 5連勝の大躍進に導いたレッドブル・ホンダのキーマンたちの“苦闘の記憶”とは
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2021/07/09 11:03
ファステストラップを叩き出してのポールトゥウィン。フェルスタッペンの今シーズン5勝目はまさに圧勝と言える出来だった
4連勝目となった第8戦シュタイアーマルクGPの表彰台には、レッドブルのヘルムート・マルコ(モータースポーツアドバイザー)が上がった。
シュタイアーマルクとは、オーストリアGPが行われるレッドブルリンクがある州の名前。F1ではグランプリに国名を使用できるのは1年に1回だけなので、コロナ禍でオーストリアGPと2週連続で開催されるこのレースには州の名前が冠された。
オーストリア出身のマルコにとって、レッドブルリンクのレースは特別だ。マルコは50年前の71年にこのサーキット(当時の名称はエステルライヒリンク)でF1デビューを果たした。デビューレースでいきなり11位で完走したマルコだったが、2年目の72年7月に行われたフランスGPのレース中に、前車が巻き上げた小石がヘルメットのバイザーを直撃。視力が大きく低下したマルコは、2度目の母国グランプリまで、あと1カ月というところで、ヘルメットを置いた。
その後、マルコはゲルハルト・ベルガーなどのマネージャーを務め、05年にレッドブルがF1に参戦すると、モータースポーツアドバイザーとして、レッドブル・ジュニアチームを統率。セバスチャン・ベッテルを発掘し、チャンピオンに育て上げるなどして、レッドブルの意思決定において重要な役割を果たすようになる。そのマルコがレッドブルの王座復活のために白羽の矢を立てたのがホンダだった。
50年目の表彰台
マルコの決断は間違っていなかった。19年のオーストリアGPでレッドブル・ホンダとして初優勝を遂げると、その後もホンダと共に勝ち星を挙げ、今年のシュタイアーマルクGPでの優勝がレッドブル・ホンダとしての通算10勝目だった。
その記念すべき表彰台にコンストラクター優勝のトロフィを受け取るためにチームを代表して立ったのが、マルコだった。それは、マルコにとって、50年目にして初の母国グランプリでの表彰台だった。
第9戦オーストリアGPでも勝利し、5連勝を成し遂げたレッドブルが登壇役に指名したのは、ホンダの田辺豊治F1テクニカルディレクターだった。その経緯をマルコは次のように説明した。
「この5連勝は、ホンダの努力がなければ成し遂げられなかった。今年ホンダが投入した新しいパワーユニットは、もはやメルセデスと同等だ。だから、われわれは奇をてらわず、正攻法の車体開発に専念できる。ホンダには本当に感謝している」
91年の4連勝を超えたホンダに残された連勝記録は、16戦中15勝を挙げた88年の11連勝。もはや夢物語ではない。ついに強いホンダが帰ってきた。