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朝倉未来を失神させたクレベルは“ヒクソンと違いすぎる境遇”にいた 日系ブラジル人の格闘家が日本人に対戦を嫌がられた理由
posted2021/06/23 11:03
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
RIZIN FF Susumu Nagao
「(私は)YouTuberじゃない。fighterだよ!」
6月13日のRIZIN.28で朝倉未来を三角絞めで絞め落して勝利を収めたクレベル・コイケはヒーローインタビューで自らのプライドを誇示するかのように絶叫した。
舞台は総合格闘技の大会としては実に18年ぶりとなる東京ドーム。規制によって声を出しての応援は禁止されていたが、それでも会場は想像を遥かに凌ぐ熱気に包まれていた。
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クレベルからすれば、youtuberとしても若者層から絶大な支持を得る時の人を下したことで、これまでの苦労と努力が全て報われたと思ったか。
「知名度はないけど、クレベルは以前から強かった」
少しだけクレベルの話をしよう。その名が示す通り、日系ブラジル人だ。14歳のとき、両親と一緒にサンパウロから来日した。1989年に日本の出入国管理法が「3世までの日系ブラジル人とその家族を無制限に受入れ」と改正されたことが契機だった。日本で一旗あげようと、コイケ家も深刻な不況が続く母国を離れ家族のルーツのある国にやってきたのだ。
母国では7歳から柔道をやっていた。日本で格闘技をやるようになったきっかけは、この日RIZINライト級王座を奪取したホベルト・サトシやサトシの兄であるマルコス・ヨシオらソウザ兄弟との出会いだった。舞台は静岡県。兄弟の父・アジウソンはボンサイ柔術の創始者。息子たちは父から譲り受けた流派をまず日本で広めようとしていた。
クレベルは工場での3K労働でヘトヘトになっても、柔術の稽古を休まなかった。努力の甲斐あって、ソウザ兄弟とともに数々の柔術の大会で優勝する。そして日本で総合格闘家としてデビュー。国内で連勝をマークした時期もあったが、タイトルやビッグチャンスとは無縁だった。
様々なプロモーションを渡り歩いたせいだろうか。疑問を抱いていると、ある団体関係者が筆者に耳打ちした。
「知名度はないけど、クレベルは以前から強かった。ぶっちゃけ、対戦を嫌がる日本人選手もいましたね」
名前はあるけど弱い奴なら対戦希望が殺到するが、その反対だと試合のチャンスすら遠のく。クレベルは典型的な後者だった。