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13年前、24歳の長谷部誠を育てた鬼軍曹マガトに聞く「なぜハセベは37歳でもブンデスでプレーできる?」「彼は異例だ」 

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円賀貴子

円賀貴子Takako Maruga

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photograph byAFLO

posted2021/05/06 17:03

13年前、24歳の長谷部誠を育てた鬼軍曹マガトに聞く「なぜハセベは37歳でもブンデスでプレーできる?」「彼は異例だ」<Number Web> photograph by AFLO

13年前、24歳でブンデスデビューした長谷部誠。37歳になった今季もフランクフルトで契約を延長した

「そうだ。ギド・ブッフバルトは彼のポテンシャルと仕事に対する姿勢にすごく感銘を受けていたんだ。それが私が判断する上で良い助けになったのは間違いない。外国人選手、特に日本人選手の場合は、質の良い情報を得ることが非常に重要だった。当時は今のようには国際移籍市場のスカウティングが活発にされていなかったからね。

 私も日本人選手が技術的にとても良い教育を受けていて、非常に秩序正しく勤勉だというのは知っていた。でも私はさらに詳細な評価を必要としていたんだ。例えば、選手の性格についても。他の文化圏から選手を獲得するときは、その選手がどれだけうまく適応できるか、よくわからないからね。でもクロートもブッフバルトも、マコトならできると言っていた。それで獲得するに至ったんだ」

13年前の第一印象は?「感心したよ」

――2008年1月に長谷部はチームに合流しました。最初はどんな印象を持ちましたか?

「感心したよ。なぜならはすぐに、自分の生活に関するすべてのことを自分一人でやろうとしたからだ。トーマス・クロートはマコトのために世話係と通訳を用意したのだけれど、マコトは即ドイツ語を学び始めた。すべてのことを理解しようと、とても努力したんだ。これはとてもいいサインだ。コミュニケーションできるように努力するのは、適応への鍵だからね」  

――選手としての特徴としては?

「彼は当時既に、非常に器用でいい選手だったね。走れるし、テクニックもいい。必ずしもファイターというわけではなかったけど、守備と攻撃の間をうまくつなぐ術を理解していた。それはミッドフィールダーの課題だし、とても要求の高いものだ。マコトはそれがよくできた。最初からレギュラーではなかったけれど、比較的早くそうなったし、2年目にはほぼ毎試合プレーしていた」

「半年後には通訳がいらなくなるレベルだった」

――そして2009年にはブンデスリーガ優勝を果たしました。その時の長谷部のポジションは、4バックの前の真ん中、というわけではなかったのですよね。なぜでしょう?

「当時私たちは、フランクフルトのアディ・ヒュッター(現監督)とは違うシステムを採用していた。ミッドフィールドに菱型を置く、つまり6番の選手を一人真ん中に置くシステムをとっていた。その当時、6番はブラジル代表のジョズエで、すごく良い働きをしていた。だからマコトは、その横のハーフポジションでプレーすることが多かった。

 でも私も、マコトのクオリティーが最もよく発揮されるのは、ディフェンスラインの前の中央の位置だと言わなければならない。今のフランクフルトでのようにね。彼の見せ場だ。この位置から深いところまで下がることもできるし、ビルドアップに貢献でき、彼の戦略的能力を見せることができる。自らあまりシュートを打たない彼のような選手は、過小評価されることが多い。でも、チームとして成功するためには、後方からボールを出してフォワードを使える選手が必要なんだ。そして、チームのバランスを保つこともできなければならない」 

――長谷部をどのような人間だと記憶していますか?

【次ページ】 なぜ長谷部は37歳でもブンデスで活躍できている?

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