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【追悼】“真空飛び膝蹴り”沢村忠はリアルに弱かったのか? 全241戦「フェイク試合だった」疑惑を検証する
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph bySankei Shimbun
posted2021/04/01 11:04
キックを繰り出す沢村忠(1970年代、後楽園ホールで)
「こういう試合(※フェイクのこと)って素人にはできないものです。プロじゃないと難しいんです。私の知る限り、あの頃に野口プロに来ていたタイの選手は、現役の選手ばかりでした。中には現役の(※本場バンコクのスタジアムの)ランカーもいましたよ」(ウクリッド・サラサス)
そこで、このときのタイ人選手の心境を想像すると思い出されるのが、「引き分け」という前約束がありながらも、いざ試合が始まれば容赦のない打撃技で攻め立て、最後は会心のハイキックで元横綱の北尾光司を倒したプロレスラー、高田延彦の行為である。これぞまさに沢村忠と戦ったタイ人の心情と合致しよう。倒した高田を称賛する声は数多くあれ、無防備にハイキックを食って倒れた北尾を庇う声は、故人となった彼には大変申し訳のないことだが、今もって聞かれない。
すなわち、沢村忠もタイ人の「攻撃」に対応できなければ、北尾同様に無様な姿を晒すことになったに違いなく、これでは「無敗のヒーロー」を演じることも「日本中で大ブームを巻き起こすこと」もまず不可能だったはずだ。青年時代の藤原敏男も彼に憧れを抱くことはなかっただろう。
「間違いなく、あの時代に誰よりも練習していた」
「天才的な運動神経に加えて人並以上に練習していた」(藤本勲)
「間違いなく、あの時代に誰よりも練習していた」(ウクリッド・サラサス)
「技術を教えたら、誰よりも早くにマスターした」(沢村忠と試合を重ね、ジムメイトでもあったポンサワン・ソー・サントーン)
「空手のいい部分を残しながら、タイ式を躊躇なく取り入れた、あの時代の数少ない選手の一人だった」(元極真空手門下生の神村榮一)
これらの証言も、単に沢村忠を慮ってのものではないのは、これまでの詳述からもはや疑う余地はないだろう。
改めて断言する。沢村忠が弱ければ、キックボクシングという真剣勝負のスポーツが定着することも、K‐1のような打撃系格闘技が隆盛を迎えることもなかった。ひいては、那須川天心や武尊といった人気選手が輩出されることも、おそらくなかったはずだ。
沢村忠は強かったのだ。
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