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トリノで“誰も信じなくなった”安藤美姫が2度の世界女王になるまで「記録ではなく記憶に残る選手になりたかった」
text by
河崎環Tamaki Kawasaki
photograph byNanae Suzuki
posted2021/04/14 11:01
現役引退から8年が経った安藤美姫さん(33)
この頃の自分を、安藤はこう振り返る。「最初はバンクーバーの後に休養をとる予定だったんですけど、その次のシーズンの世界選手権の開催地が東京に決まって、コーチに『休養を取り消してもう1年やりなさい』って説得されたんです。やっぱり日本人として世界選手権に出られるレベルにあるし、良い成績を残せる可能性があるんだったらやった方がいい、と」
コーチにそうは言われてもなかなか気持ちは切り替わらなかったという。「選手として、モチベーションを上げるのはすごく大変だったんですけど、なんとか出場に向けて準備していました。東日本大震災が起きたのはそんな時でした」
震災の日、安藤は世界選手権の前の時差調整を兼ね、福岡でトレーニング中だった。「東北とは距離があるので、まったく揺れなかったんです。でもテレビで地震の報道や津波の映像を見た時に、これが同じ日本なのかって、ただただ唖然としてしまった」。
世界選手権の開催も危ぶまれるなか、安藤が真っ先に想ったのは、震災で家族を急に亡くした子どもたちのことだった。「朝、いつも通り一緒にいた家族が急にいなくなってしまう悲しさだったりとか、その気持ちをどこに持っていけばいいのか。私も8歳のときに経験したことでもあるので」。安藤の父が事故でこの世を去ったのも、東日本大震災発生時と同じ昼間だったという。
「お母さんお父さんや、お兄ちゃんお姉ちゃん、弟妹を急に亡くされた子どもたちを、夢や目標がある子どもたちのその後をどうサポートしていくか。やはり私たち大人がしっかり支えて、ひとつでも多くの道を作っていかないといけないと思いました」
スケートを始めたばかりの頃に父親を突然亡くした安藤は、周囲の大人たちの働きかけでスケートを続け、世界の大舞台に立つスケーターになった。子どもたちへのシンパシーが、安藤を衝き動かす。「まず世界選手権より前に、チャリティーショーをやらないといけないと思って。全然ライティングとかないんですけど、福岡で小さなチャリティーショーをやらせていただきました。その後も2012年に開催したチャリティーショーからずっと今までReborn Gardenというプロジェクトを継続してます」
初めて「待ってくれている人たち」のために滑った
気持ちがどうにも定まりかねていた世界選手権への想いも、この震災をきっかけに強く固まった。「延期されていた世界選手権がモスクワで4月に行われるという発表があって。同時に東北の方から1通のお手紙をいただいたんです。『こういう時期だからこそ頑張ってほしい』『美姫ちゃんの演技を見ることで私たちも力をもらえるし、頑張ってほしい』と」。