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髪切りマッチを越える戦いを…“赤いベルト”の女王・林下詩美vs上谷沙弥、予言された“驚くような結末” 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2021/02/28 11:03

髪切りマッチを越える戦いを…“赤いベルト”の女王・林下詩美vs上谷沙弥、予言された“驚くような結末”<Number Web> photograph by Essei Hara

ワールド・オブ・スターダム王者の林下詩美は3度目の王座防衛戦に臨む

高校卒業後、働いて妹たちの学費を工面した

 昨年11月15日、仙台。わずか2年3カ月のキャリアで、スターダムのアイコン岩谷麻優を倒して「ワールド・オブ・スターダム」という名の赤いベルトを手にした林下は22歳と若い。岩谷はやられてもやられても立ち上がってきた。林下はスターダムの10年という歴史の重さを感じた。だが、林下は豪快な必殺技で岩谷を押さえこんだ。

 アルゼンチン・バックブリーカーから投げ捨て、それでも相手が立って来ると、カナディアン・バックブリーカーに移行し、ドン・レオ・ジョナサンが得意としたハイジャック・バックブリーカーで高々と担ぎ上げて回転して、パワーボムで叩きつけた。

 筆者はベルト獲得から間もなく林下と話したが、やたら落ち着いていてクールで不思議さを感じた。この落ち着きはどこから来るのだろう。

 高校を卒業した林下はそのままスターダムに入ったわけではない。就職して働いて妹たちの学費を工面した。

「お兄ちゃんたちが私にそうしてくれたように、自分もその番だから妹たちにそうした」と普通の事のように話す。

ビックダディの娘がなぜプロレスラーになったのか

 林下はビッグダディこと林下清志の三女として大家族で育った。子どもの頃からテレビカメラが回っていた。一般的には普通ではないことが日常という環境が林下を成長させていった。妹の高校の入学金などが落着したところで「今なら」とプロレスラーになった。

 プロレスは中学生の時から見始めた。会場で初めて見たのは千葉の高校を卒業して東京に来てからだという。林下はプロレスファンであったが、プロレスにいいイメージを持っていたわけではなかった。だが、TAJIRIの試合で毒霧やバズソーキックを見たことで、プロレスに「きれいさ」とか「楽しさ」を感じるようになった、という。

 姉が甥っ子2人を連れて道場にやって来ていた。幼子たちに視線を送る林下に結婚観を聞いてみた。

「いつかできたら」と林下は笑みを浮かべたが、それは「プロレスを辞めてから」だという。では、レスラーをいつ辞めるのだろうか。辞める話をするのは、まだ早い気もしたけれど、林下はしっかりと答えた。

【次ページ】 「見ていて見苦しくないうちにやめたい」

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