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「大男が郵便局に現れた!」新丸子に伝わるジャイアント馬場“巨人伝説” 浪人期に出会っていた驚きの人物とは
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byMoritsuna Kimura/AFLO
posted2021/01/31 06:01
巨人軍を自由契約になった後、合宿所があった新丸子でそのまま浪人期を過ごしたという馬場。その近くにあったのが「不二拳斗倶楽部」だった
当時の新丸子には、馬場の下宿から100mも離れていない場所に、かの拳聖・ピストン堀口の師匠にあたる岡本不二会長(1928年アムステルダム五輪バンタム級代表)が主宰する「不二拳斗倶楽部」が存在していた。どうやら浪人中、馬場はここに出入りして身体を鍛えていた模様。プロボクシングとて興行の世界、2mを超す逸材が近所を歩いていたとして、しかも浪人中とあれば、スポーツに携わる人間ならば、まず声をかけて勧誘するのが自然の流れだろう。
この時期、現役プロボクサーとして不二拳に所属していたのが、昭和41年の「袴田事件」にて死刑が確定し、運命が大きく狂うことになる袴田巌さん(WBC認定名誉王者)だ。袴田さんがプロボクサーを引退したのは翌年(昭和36年)5月のことなので、馬場がこの時期に不二拳に出入りしていたならば、接点は確実にあったはずだ。
不二拳は昭和40年代初頭に新丸子から姿を消したが、現在も医大通り商店街に店舗を構える老舗和菓子店『菓心 桔梗屋』では当時、不二拳所属のボクサーたちに、ファイトマネー待ちのツケにて和菓子をふるまっていたとか。特に袴田さんについては「ボクサーの中でも特に温厚な人だった。あんな人がそんな事件を起こすわけがない……と、よく先代(主人)も言っておりました」とのこと。
ちなみに桔梗屋には、商店街の道すがら、馬場さんもよく大福を買いに来ていたそうで、決して小さくはない大福を一口にてパクリと「飲み込んでいた」そうだ。
『九ちゃん音頭』にもゆかりが?
この時代の新丸子駅周辺、商店街、馬場が新潟へと送金していた郵便局、そして不二拳ジム内部の風景は、ほぼ全編が新丸子の街、実際の商店街店舗で撮影されている坂本九主演の青春歌謡映画『九ちゃん音頭』(昭和37年・松竹=市村泰一監督)にて、数多く見ることができる。
劇中、坂本九やダニー飯田とパラダイス・キングの面々、そして不良ボクサー役のジェリー藤尾や、その恋人・十朱幸代、マドンナの桑野みゆきらが夜な夜な集う「喫茶ヤナギ」は、馬場同様に米国で大成功を収め、活躍中の人気ギタリスト、トシ・ヤナギの実家だったりする。豆知識。