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【ベンゲル独占インタビュー】日本への敬意 Jでの監督生活は「腰掛けなどではなかった」と強調するワケ
text by
フィリップ・オクレールPhilippe Auclair
photograph byGetty Images
posted2021/01/05 11:01
独占インタビューに応じてくれたベンゲル。四半世紀前に名古屋で見せたサッカーは鮮烈の一言だった
本人が書き上げた今回の自伝は、ボリューム的に少ない部類に入るだろう。オリジナルのフランス語版は全267ページ。そのうち19ページが、1年9カ月ほどのJリーグ時代に割かれている。
日本のファンにしてみれば少ないように思えるかもしれないが、7年間を過ごしたモナコ時代と数ページしか違わないのだから、ベンゲルの心の中に占める日本という国の大きさが窺える。
もっとも、読後には物足りなさも覚えた。
日本での任期中、ベンゲル率いる名古屋にではなく、ベンゲル自身にどのような変化が起こったのかが、あまり語られていなかったからだ。そこで今回、長年のよしみもあって応じてくれたインタビューの機会に、「日の丸」の赤と白に染まったベンゲルについて、話を聞いてみた。
<翻訳:山中忍>
任務を遂行するために心血を注ぐ覚悟でいた
――Jリーグ時代の章を読みながら、いまさらながらに準備の段階から念には念を入れるアーセンの姿勢に改めて感心した。実際に就任する前から、(フランス南岸にある)ビルフランシュの自宅で名古屋の戦いぶりをビデオ映像で研究していたなんて。モナコではUEFAカップ・ウィナーズ・カップ(1999年廃止)での決勝進出やCLベスト4という実績残していたし、ヨーロッパのクラブから誘いもあった。それでも当時不振に喘いでいた名古屋を任地に選んだ理由を教えてほしい。
ベンゲル(以下、W):私にとって日本での仕事は、単なる次のポスト以上のものだった。間違っても、腰掛けなどではなかった。その点ははっきり言っておきたい。私は、壮大なチャレンジを見つけて、それに没頭するのが好きなたちでね。そこは自分の強みでもあり、弱みでもある。言い換えれば、使命を果たすことにすべてを捧げるということさ。
名古屋での就任を決めたときも、任務を遂行するために心血を注ぐ覚悟でいた。性格的には割と気楽な一面や、あまり深く考えずに行動することもあるんだが、プロとしての仕事は別。そうした姿勢を理解してもらえたことで、日本の人々も敬意を持って接してくれるようになったのだと思う。