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【24年目の真相】落合博満が雲隠れした“空白の1日”…清原和博の巨人FA移籍の裏で何が起きたのか
posted2020/12/25 17:04
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
SANKEI SHINBUN
今年のプロ野球のFA(フリーエージェント)選手の動向は、すでにDeNAの梶谷隆幸外野手と井納翔一投手の巨人へのダブル移籍が決定。国内組で残る大物のヤクルトの小川泰弘投手は残留が決まった。
選手が移籍の権利を行使すると、次にやってくるのが人的補償の問題だ。梶谷の“補償”として巨人からは田中俊太内野手のDeNAへの移籍が決定。選手の権利を守るために、他の選手の“意志”を疎外する人的補償制度は、決してFA制度の趣旨に沿うものではない。球界が、改善、改革へと動くべき大きなテーマであることは間違いないだろう。
ただプロ野球の歴史を紐解くと、この人的補償だけではなく、FA移籍を巡ってはドロドロの騒動へと発展したケースがいくつか残されている。
FA移籍の持つもう1つの闇
中でも最大の騒動となったのは1996年の西武・清原和博内野手の巨人移籍を契機とした、落合博満内野手の退団劇だ。1人の選手の権利行使が、他の選手の人生を大きく変えてしまう。それはFA移籍の持つもう1つの闇をクローズアップする事件だった。
1996年11月26日。まだ夜が明ける前の午前5時過ぎに1台の車が静岡県・熱海市にある熱海後楽園ホテルの裏口を滑り出した。
車の後部座席に乗るのは当時、巨人に所属していた落合博満内野手。このとき、すでに落合の周囲は喧騒に包まれ、その騒動から抜け出すように、ひっそりとした街中を抜けた車は、一路、都内へ向かった。
この年、フリーエージェントの権利を行使して移籍を表明した西武・清原和博内野手。すでに11月24日には移籍が決まり、長嶋茂雄監督同席のもとで入団会見も済ませていた。しかしその裏で、その清原の移籍を巡って落合と巨人の関係はこじれにこじれていた。
きっかけは、11月13日に行われた巨人と清原の1回目の移籍交渉だった。