令和の野球探訪BACK NUMBER
ヤンチャな坂本勇人を育てた金沢成奉が語る「自律」と「自立」 鑑別所送りの少年を主将に抜擢したことも
text by
高木遊Yu Takagi
photograph byNanae Suzuki
posted2020/12/25 11:04
今季2000本安打を達成し、球界に名を残すバッターへと成長した坂本勇人。高校時代はヤンチャだったと金沢監督は振り返る
「勝利」と「育成」は相反することではない
光星学院で指導をしていた頃は、ギラギラと寄せ付けないような雰囲気で野球をやっていましたけれど、40歳を超えて(現在54歳)勝ったり負けたりしていく中で、「どうしていくのが良いのだろう」とモヤモヤしていました。それが、今年は明確に見えてきましたし、そういう気持ちで野球をやっていれば、「必ずいつかどこかで日本一になれる」と思えるようになりました。
勝利と育成は相反することではないということを絶対に見失わないようにしています。「勝ちたい、勝ちたい」と甲子園に取り憑かれていた時には、そのことを徹底させていたかといえば、そうではなかったと思います。
たとえばバットの置き方、グラウンドの手入れをどうでもいいと思う野球を私はできません。
まずは「目に見えて動かないもの」を揃えること。次に「目に見えて動くもの」を揃えること。目に見えて動かないものは、バッグや靴やグラブなど。目に見えて動くものは、足を揃えてのランニングや行進です。
そして最終到着地点は、目に見えなくて動くものをみんなで一つにしていくこと。それは「心」や「考え方」です。そこに至ることを目指しながら、「真の勝利者」ということを、特にコロナ禍を通じて感じましたので、強く訴えています。
仲間の活躍を祈るキャプテンの姿
ようやく練習ができるようになった当初、(密を避けるため、グラウンドに同時にいられるのは)選手30人、3時間までと制限されていたため、部員を3班や4班に分ける必要がありました。私は計12時間、ずっとグラウンドにいなければいけません。普段はレギュラーを中心に見て、コーチにレギュラー以外を任せっきりになってしまい、「みんなを見られる」ということはなかったので、全員を見られる時間ができて良かったです。
今でもこの夏の3年生たちのことを話したり、思い出したりすると、泣きそうになります。たとえ良いピッチャーが相手でも、普段試合に出られていない子が、練習の成果で、打ったりするんですよね。私も嬉しいし、3年生全員が喜んでいました。そんな姿は、なかなか見られないものでした。
またそうした選手が初戦でヒットが出ず、次の試合でなんとかヒットを打たせるために打席が回るよう祈っていたら、私の隣でキャプテンの木下大我がもっと祈っていました。
なかなかこれまでは味わえていなかった経験でした。監督でいなければいけないのですが、彼らのいちファンであり、仲間となっていました。甲子園で勝った時に、「こいつらと俺は同志だな、仲間だな」と思える瞬間があるのですが、まさにそのような感じを独自大会で経験しましたね。
そしてそういう経験をずっとしたいです。だからこそ今は練習も完全に2班に分けて、2つのグラウンドに分かれ、全選手が思う存分練習してボールもみんなで拾うようにしています。