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「24年もかかってごめんね」元SMAP森且行が3つに分かれた5人を再び“1つ”にした日
posted2020/11/15 11:02
text by
霜田明寛Akihiro Shimoda
photograph by
KYODO
森且行がオートレーサーを目指し、SMAPを脱退したのは1996年5月のことだった。グループの冠番組『SMAP×SMAP』放送開始の翌月である。
今では珍しくなくなってしまった、現役のジャニーズアイドルのグループ及び事務所からの脱退だが、当時は異例中の異例のことだった。特に森は、その歌唱力の高さから初期のSMAPを引っ張っていたメンバーでもあり、6人の中で最も早く連続ドラマで主演を務めたのも彼だった。
しかも、抜けたのは“1996年のSMAP”。
1991年に発売されたデビュー曲で、ジャニーズとしては珍しく1位を取れなかった当時を本人たちが「僕ら、落ちこぼれだったからね」と振り返った話は有名だが、この年はそれまで溜まったパワーをいよいよ爆発させんとしているとき。
前年にはジャニーズとして初めて日本テレビ系列24時間テレビのパーソナリティーに抜擢。前月から香取慎吾の初主演ドラマ『透明人間』と、木村拓哉の初主演ドラマで社会現象にもなった『ロングバケーション』が放送している最中……。まさにSMAP全員が頂上に駆け上がり始めた、そんなタイミングだった。
森はメンバーにも言わずにオートレーサーの試験を受け、SMAP脱退を決意する。
“1番になれそうな船”から降りる決断
「すごいわがまま言って芸能界を出てきた」と自身で振り返っている通り、ファンはもちろん、世間も大きな衝撃を受けた。それは単純に、“そのまま乗っていれば1番になれそうな船”から降りる決断でもあったからだ。見えかけた成功を捨て、幼い頃からの夢をとる道。いや、当時はアイドルの成功だって長く続かないと思った人もいたかもしれない。その前年には、8年の活動期間で光GENJIが解散したばかり。SMAP以前に10年続いたアイドルグループは少なく、途中で勢いを失うことがほとんどだった。
だが、あれからさらに20年、SMAPはSMAPとして生き続けた。
ジャニーズに限らずアイドル全体の寿命をSMAPが延ばしたといっても過言ではないだろうし、「SMAPは1番になった」と言っても誰も異論を挟みはしないだろう。