ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
新世界王者・中谷潤人 恩師の死、中卒で渡米…日本人初の“世界6階級制覇”が狙える逸材
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byHiroaki Yamaguchi
posted2020/11/09 17:00
ボクシング界に誕生したニューホープ、中谷潤人。井上尚弥が初めて世界タイトルを獲得した日を思い出す
パーフェクトな戴冠劇に「幸せです」
その後は岡辺大介トレーナーが「真ん中で戦うという指示通り。安心して見ていられた」と振り返るように、完全に試合を支配してラウンドを重ねた。決してロープを背負わず、マグラモの突進を半身で受け、巧みにポジションをずらしながらボディブローやアッパーを打ち込んでマグラモにダメージを与え続けた。
気迫で前に出ていたマグラモの追い足が落ちると、今度は距離を取って強い左を打ち込み始める。8回、強烈なロング左フックを決めてフィニッシュ態勢に入った中谷は左アッパー、左ストレートとつなげてマグラモをキャンバスに突き落とす。パーフェクトな戴冠劇はこうして締めくくられた。
「たくさんの方々に協力いただいたので、その思いを拳に乗せてリングに上がった。今日、世界チャンピオンになれて幸せです」
恩師が亡くなっても志はブレなかった
中谷の歩んできたジム入門からの10年7カ月を知ると、試合後の朴訥なヒーローインタビューが心にしみてくる。あどけなさも残るその表情からは想像できないほど、中谷のボクシングキャリアは骨太だ。
生まれは三重県東員町。小学校3年生で空手をはじめ、やがてボクシングに興味を持つようになる。中学に入って通い始めたのがKOZOジム。ここで世界戦に3度挑戦した石井広三会長にボクシングを教わり、この競技にのめりこんでいった。
中学3年生のとき、その石井会長が亡くなり精神的に落ち込んだ時期はあっても、会長と約束した「世界チャンピオンになる」という志がブレることはなかった。そして中学を卒業すると高校へは進学せず、アメリカへの単身武者修行に旅だった。とても重く、そして尊い15歳の決断だった。