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【引退】吉見一起が打ち砕かれ、目覚めた日 “精密機械”が極めた「もっと低く」のエース道

posted2020/11/05 17:00

 
【引退】吉見一起が打ち砕かれ、目覚めた日 “精密機械”が極めた「もっと低く」のエース道<Number Web> photograph by Kyodo News

吉見の今季唯一の勝ち星は6月27日の対広島戦(ナゴヤドーム)。徹底して内角を突く投球で1年ぶりに勝利投手となった

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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 中日の吉見一起が今シーズン限りでの引退を表明した。

 金光大阪高校からトヨタ自動車を経て、大学・社会人ドラフトの希望枠で2006年に中日に入団した。右肘の手術からのリハビリがあることを承知の上でのラブコールだった。FA権を行使してMLBに移籍した川上憲伸から引き継ぐように、エースの座に君臨。09年に最多勝を獲得し、11年には最多勝、最高勝率、最優秀防御率など主要タイトルを独占し、チームを連覇に導いた。このシーズンは18勝でわずか3敗。防御率も1.65と圧倒的な数字を残したが、リーグMVPは同い年で絶対的なセットアッパーだった浅尾拓也に譲っている。

 ところが、翌12年の13勝を最後に勝利数が二桁に乗ることはなく、度重なる手術の影響もあり、球威は衰えていった。

「現役を続けるという選択肢もあったけど、チームの中で自分が立っている位置を見つめ直したとき、ちょっとしんどいのかなと。次のステップのためにユニホームを脱ぐ。そう決めました」

打たれても、速いボールを投げたかった

 しがみつくことはできたようだが、それを潔しとしなかったのがエースの誇りなのか。通算90勝56敗と、まさしく負けない男、貯金をもたらすエースだったが、吉見を吉見たらしめたのはなんと言っても抜群の制球力だろう。安定したフォームから、正確無比の軌道で投げ分ける。ストレート、シュート、スライダー、フォーク。どの球種も一級品であり、球速以上に打者に打ちづらいと感じさせる球質が武器だった。広島、阪神で活躍した新井貴浩は「あんなに(体感で)速いと思った投手はいなかった」と話していたほどだ。

 そんな吉見にもスピードガンと戦っていた時代があった。

「若い頃にもコントロールがいいなんて言われてはいましたけど、速いボールを投げたかった、打たれても球速のMAXを更新できればOK。そう考えていたんです」

 投げては後ろを振り返り、スコアボードのデジタル表示に一喜一憂する。転機は2人の強打者が授けてくれた。1人は当時巨人にいた小笠原道大、もう1人はヤクルトの青木宣親だった。

【次ページ】 小笠原と青木に完璧に打たれ、やっとわかった

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