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浅田真央、30歳に 「自分が目指していたのは、今日のような演技」ソチ五輪後に語っていた重圧と歓喜
posted2020/09/25 15:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Asami Enomoto/JMPA
浅田真央さんが2020年9月25日、30歳の誕生日をむかえました。日本中を熱狂の渦に巻き込んだ2014年のソチオリンピックで真央さんが抱えていた苦しみと喜びはどんなものだったのか。あの感動を呼び起こす記事を特別に再公開します。(初出:NumberWeb 2014年3月25日)
鮮烈な4分間だった。
浅田真央の、ソチ五輪でのフリーは、今思い返してみても、ただそうとしか表しようがない。
浅田はソチ入りしたあと、苦しみ続けた。団体戦のショートプログラムは、「予想していたよりも緊張してしまって」トリプルアクセルで転倒し、思うような演技とならなかった。
一度アルメニアへ移動して調整したあと、シングルのショートではトリプルアクセルの失敗のほか、トリプルループがダブルになるなど、精彩を欠いた。
「体がうまく動かなくなりました」
その原因を、こう分析していた。
「オリンピックは2回目なので、一度経験することで分かることもたくさんあると思うんですけど、逆にそれが良い方向に行かなくて、自分の中でうまく解消できていなかったんだと思います」
追い込まれた状況での底力を生んだ浅田の姿勢。
五輪はバンクーバーで一度経験している、知っているからこそ、かえってオリンピックという舞台の重さに囚われたのかもしれない。そう示唆しているようだった。
だが浅田は、そのままでは終わらなかった。それがフリーの4分間だった。
大舞台の重圧に押し潰されそうになりながら、最後ははねのけた。
勝負強さ、あるいは精神の強さという言葉ははまらない。追い込まれた状況で表れる底力とでも言うべきものかもしれない。
それを育んできたのは、やはり浅田の姿勢だろう。
'05年のグランプリファイナル優勝など、広く世間に知られるようになったシーズン以来、浅田が発してきた数々の言葉を思い起こせば、常に一貫した姿勢を持っていたことにあらためて気づく。